「正気を疑いたくなるよ、レイリー、きみはよりにもよってこのぼくに子供なんて育てられると思うのかい」 オーロ・ジャクソン号の慣れた己の私室であっても、いつ何があるやもしれぬと油断などはしない性質。いつものぐるぐるボロ布なのかそれとも雑巾なのかと判断につきかねる野暮ったい厚手のショールをいくつも体に巻きつけた風体。長く重たそうな袖口から出る手さえ手袋でしっかりと隠されて、露出されているのは顔のみとなる。その顔も普段は口元を布で覆い、頭からすっぽりとベール(そんな可愛らしい名称がまるで似合わぬこれまた粗末な布)を被っているのだから、レイリーは久しぶりにの顔を見たと思った。 レイリーや他の船員たちにはまるで意味も用途もわからぬ道具やら何やらが散乱したの私室。大きなベッドは窓に寄り添い、天涯にはキラキラと光るおもちゃのような、不思議な道具がいくつもぶら下がっていた。絨毯はどこぞの南国の特産品を思わせるような色鮮やかさ。無造作に散らばった金銀の羅針盤や砂盤などは魔法使いの道具なのだと思わされる。別段これらはロジャーが揃えたわけでもなくて、最初からの持ち物だった。ただのガラクタのようには扱うが、使い方を誤れば山一つ消すことのできる威力を秘めたものが、その辺に無造作に放っておかれている。唯一大事そうにされているのは、ベッドサイドにある小さな机の上に置かれた懐中時計である。黄金、林檎の絵が描かれた金の鎖の古びた時計。時間を刻むことはないらしいが、何か大切なものだといつだったか教えてくれた。あの時はかなり機嫌がよかったとレイリーは思い出し、それが今ならどんなに楽かと状況を呪いたくなった。は小さな体を大きな一人掛けのソファに沈め、煩わしそうに額を押さえている。レイリーの話に対しての動作、というだけではない。 定期的には酷い頭痛に悩む。ノアの所為だとは言っている。三日三晩続いてひどいのは二日目の夜だという。今日は丁度二日目、しかも時刻は夜だった。 「育てることが目的ではない。、言ったじゃあないか。海賊見習の少年を二人、きみに付けると」 レイリーはあまり高い音や大きな音を出せばの頭痛が一層酷くなるとクロッカスに説明されていたから、つとめて低い、静かな声で話す。それでもの今の神経にはつらいのか、一言一言に顔を顰める。ぴくり、と白い瞼が神経質そうに動いて、の青い目がレイリーに向けられた。 「ふん、海賊見習だって?自分の命も満足に守れないような生き物をこのぼくにつけてどうしろっていうんだい。手厚く扱って立派な海賊にでもしろっていうのかい」 「世話をさせるなり何なり、君の好きにすればいい。君が気に入らなければ二人は次の港で降ろす」 最後の言葉はレイリーの意思ではなかった。ぴくん、とが眉を跳ねさせる。 「ロジャーが言ったの」 疑問形、ではなくて確認の形を取っていた。レイリーは嘘をついてでもに「そうではない」と言いたかったが、に対して嘘はつけない。無言のままでいると、が目を細めた。 「そうか、ぼくの船長が」 「ロジャーに他意はないよ」 「どうだかね」 ふん、とが鼻を鳴らした。 「いいよ、レイリー。連れておいで」 前を向いて、上を見上げて、何も零さぬように 耳の中にこだまする、ルフィの声。仲間たちの声。オーズの声。さまざまな声、声、声、を、目を閉じて思い出し、エースはゆっくりと顔をあげた。 「……どうした」 隣のガープが、顔を向けてくる。エースはまっすぐ目を見開いて、まっすぐ、前を見た。この戦場、自分が引き起こした、惨状を、ただじっと見つめる。 「もうどんな未来も受け入れる」 仲間がここにきて、手を差し伸べればそれを取る。間に合わず、おれを裁く白刃も受け入れる。 「もう、ジタバタしねぇ。みんなに、悪い」 ++ ひくっと、は顔を引きつらせた。ドフラミンゴに名前を呼ばれ、しぶしぶ頷いたその途端、背後から強烈なまわし蹴りがお見舞いされた。 「ト、トカゲ……!!!」 すかさずドフラミンゴがその蹴りを受け止めはしたものの、は素直に、「うげ」と声を上げる。がっしりとドフラミンゴの腕がこちらを抱きしめてくるが、そんなもの程度で、この恐怖が解消されることもない。 「ふ、ふふ、ふふふ、ふふふふふ、呼ばれなくても飛び出てじゃじゃじゃじゃーん。最近すっかり忘れられてるが、おれはトカゲが偽名、個人的にはパン子さん、の方が名前は気に入っている。ひれ伏せよ、愚民ども」 ノリノリだ。 状況も何もかも、きれいにスルーして、ノリノリな台詞を吐く阿呆が来た。 はう、うわぁ、と顔を引きつらせたまま、素直にドン引きして、体を引く。ドフラミンゴも何かこう、いろいろ言いたいことはあるようだが、さすがに黙っていた。 トカゲを知るものの中での常識。この女に突っ込みを入れたら、日が暮れる。 それがわからないばっかりに、きっとトカゲの世界のドレークは苦労しているのだろうか。そんなことを考えつつ、は軽く手を挙げた。 「や、やぁ、トカゲ。久しぶりー」 「ふ、ふふ、ふふ、ふふ、ふ、久しいな。、ちょっとあれか、背は伸びたか?」 「背「は」って何、背「は」って!!!!?これでも胸もちょっとは……!!!!!」 あれほど突っ込まぬ、と心に決めたが、さすがにそのネタは反応せざる負えない。素直に声をあげ、は自分の胸とトカゲの胸を交互に見つめ、素直に、落ち込んだ。確かに以前よりは、多少、本当に少しは胸もあるが、しかし、メロンでも入れているのかお前、と突っ込みたくなるトカゲには、ないも同然だろう。 「……どうせ、どうせぼくは貧乳だよ!!!!」 「フッフフフフ、いいじゃねぇかよ、おれはお前ならなんだって構わねぇぜ?」 「鳥は黙れ!!」 うわぁああん、とは悔しそうにしながら、とりあえずはドフラミンゴの腕から下りて、トカゲを見上げる。 「それで?姉さんには逢えたのかい」 「急にシリアス展開にするのか?卿、空気読めよ」 まさかトカゲにそれを言われるとは思わなかった。は何とも言えないような微妙な顔をしてから、目を細める。 「きみを、ただルフィくんのお守りのためにインペルダウンに残したわけじゃあないよ。姉さんの目的を、確かめたかったからさ」 「なるほどな。なら話は簡単だ。あの女の精神はとことん、狂ったまま、いい具合に腐っているぞ」 からかうようだが、しかし、回答としてこれほど的確なものはない。は眉を寄せ、一度目を伏せてから、掌を握りしめる。 それでも表をあげたときには、その口元には人を小馬鹿にした笑み。にっこりと音が出そうなほど、面白そうに笑っては喉を震わせた。 「そう、ばかだねぇ、姉さんは。未だにぼくを殺そうとしているのかい」 「お前があの女にしたことを考えれば当然だろう。おれとて、もしも自分がそうされたら、お前を殺すために手段は選ばんさ」 「おや、きみ、残骸を見たの?」 そこがには気になるところだった。インペルダウンに、ノアの棺が隠されていたなど、さすがに知りはしなかったけれど、しかし、棺の中には×××が入っているはずだ。それを、トカゲが確認しているか、していないかで、また状況も変わってくる。 しかし、トカゲは首を振った。 「いや、まさか。マゼランが最後の最後まで守るだろうよ。あの女に渡すくらいなら、海に投げ込む、とさえ言っていた」 「さすがマゼランくん。本当に、彼は優しすぎて仕方ないね」 は脳裏に、あの、大きな体を小さくして、狭苦しい空間にいることを好んだ、インペルダウンの所長を思い出す。二人でかつて育てた花は、今もなお残っているだろうか。そんなことを考えつつ、は長く伸びた髪を梳いた。 「ならあと、ぼくのすることは決まり切ってる。ちょっとインペルダウンに戻って、姉さんと魔女の殺し合いでもしてくるよ」 観れば、エースはもう覚悟を決めたよう。それなら自分にはもう、ここにいる意味がない。エースの中の炎の悪魔は取り出せないし、それに、ルフィが来てしまったのなら、もう、本当に、自分はここにいるべきではない。 「なぜだ?」 「え?」 「どうして、ここにいたらまずいんだ?」 「ねぇ、人の心を勝手に読むのは、」 「おれにそういうオプションはない」 慣れた問答を返されて、は額を抑えた。 なぜ、と、きまりきっているではないか。自分はこの戦いがどうなろうと、それはもう関係ない。あとはただ、残された時間でを殺さねばならない。過ちを正すために、そして世界から、自分たちの存在を確実に抹消するために。 そのために使う時間がすべてだ。ここに、もう、これ以上居て、何になる。 エースの苦しむ顔は見れた。それで十分だ。ルフィが来てしまった以上、これ以上ここにいれば、自分は。 「………いやらしいね、トカゲ。ぼくに答えを突きつけさせたいの?」 はたり、と、気付いては息を吐いた。おろか、ではないのだ、自分は。もう、その意味がわかるではないか。 刺された傷から次々と、力が抜けていくのも原因かもしれない。それに、ルフィのあの言葉を聞いて、思い出してしまったから、かもしれない。 『おれは、弟だ』 だから、助けると、そう、何においても告げる台詞。かつて、がリリスに叫んだ言葉だ。 『それでも、わたくしは、あなたの姉です』 思い出してしまった。そしてその途端、リリスとしてのがんじがらめになっていた心が、あっさりと溶けてしまった。あの日、あの時、姉は、何をおいても、自分の幸福を願ってくれた。どんなことを、リリスがしてしまっても。姉は、それでも、リリスに幸せになってほしいと、そう、呪いをかけた。 (ぼくに自分の何もかもを殺され、国を滅ぼされ、それでも、姉さんは最後の正気をかけて、ぼくを愛してくれた) 思い出した途端、リリスとしての本分の強かった己は、に戻った。何も知らぬあどけなさ、白さを、持っていて当たり前でいられている、になった。 だが、それでもは、姉の最後の愛を受け入れるわけにはいかない。自分だけが幸福になど、なっていいはずがない。そして、もう時間もないのだ。たとえ、最後の時を自分で選び、誰かの腕の中で過ごせる、そのための姉の愛だとしても、それでももう、は、姉を一人で苦しめるつもりはなかった。 (それでも、ぼくは、姉さんを殺しに行く) 「卿は死にたいのか。自分が死んでハッピーエンド?悲劇のヒロインを気取るなよ、みっとも無い。そんなありきたりな生き物か?浅ましいにもほどがある」 「空気読む発言しようよ」 はまじめな顔のまま、がつん、とトカゲの脛を蹴った。自分の決意とか、いろんな考え、トカゲには一蹴にされてしまう。しかし、まぁ、そうだろう、と自分でも思ってはいた。自分が死ぬことで何もかもが解決する、自己犠牲、そんなつもりはなくとも、傍目にはそう見えるだろう。しかし、だからどうだというのか。 「ぼくが、こうしたいと思ったことだよ。他の人の意見や評価は関係ない」 「そこでさっきから空気と化してるハデ鳥。そんなひどいことを平気でほざく、、どう思う?」 「フッフフフ、完全に放置プレイでさすがに落ち込みかけたぜ」 ん?と、しゃがみ込んでいい具合に人の首を跳ねて今を潰していたドフラミンゴが振り返る。すいません、手慰みに外道なことしないでください、とそういう突っ込みをするものはここにはいない。は知った顔の海兵や海賊がいないことを確かめてから、ひょこっと、ドフラミンゴの膝に乗る。 「きみはこのぼくのすることに文句あるの?」 「ンなかわいい顔して言うんじゃねぇよ。惚れ直すぞコラ」 「そこ、イチャつくな、うっとうしい」 イライラっとトカゲが顔を引きつらせた。なるほど、こんな光景目の当たりにさせられたら、さすがの赤犬も落ち込むんじゃないか、とそんなことを呟く。しkしは構わず、ドフラミンゴのサングラスを奪って、じぃっと目を見つめた。 「ぼくは君を裏切るけど、君は絶対にぼくを裏切らない。そうだよね?バカ鳥」 「当たり前だろ、と、言いてぇところだが」 ひょいっと、ドフラミンゴは立ち上がり、をそのままトカゲの方に放り投げる。 「お前が、どのみち今日死ぬってんなら、おれは、お前を生かそうとしてるやつに付く。恨んでもいいが、おれを恨んだところで、まったくもって、気にしねぇぞ?フッフフフフフ」 「きみのその、いらないところで物分かりがいいところが嫌!!」 投げられ、トカゲに受け止められながらは叫び、自分に背を向けたドフラミンゴを睨みつけた。そのままトカゲに受け止められて、なんだか嫌な予感がする。は顔を引きつらせ、自分を見下ろすトカゲを見上げると、次の瞬間、二人で仲良く、デッキブラシで宙に浮いていた。 「わっ、ちょ……!!!トカゲ!!!」 「じたばたするな。おい、なぁ、。おれは思うんだが」 と違い、トカゲの飛び方は荒っぽい。は風の隙間をぬってすいすいと流れるように進むのだけれど、トカゲはこう、気流を自分で作り上げて空を大気を乱暴に裂くように進むのだ。ごうごうと聞こえる風の音に顔をしかめながら、はトカゲを見上げた。 「今日、死んで終わりにするな、これから先も、生きて苦しめよ」 見上げる、もうひとつの世界のもう一人の自分の顔。顎のラインの細さをじっとは見詰めた。赤みのあるまつ毛は長くて影が白い頬に落ちている。あちこち擦り切れた衣服、泥さえついていて、それでもトカゲは美しかった。 この女は、パンドラと戦ったのだ、とはいまさらながらに思う。この世の敵と、戦った。そして無事に帰ってきている。そのことがどれほどの奇跡かすら知らず、それを道理としている、その強さがにはうらやましかった。 そうだ、自分はトカゲがうらやましいのだ、とは認める。外見的な美しさだけではない。トカゲは、にはない何もかもを持っている。傲慢に振舞いながら、外道なことを堂々と言いながら、トカゲには慈悲があった。今もそうだ。トカゲは、800年前にが、いや、あの時は別の名前で呼ばれていた己が、パンドラに、姉に、何をしてしまったのか、きちんと知っていて、それでも、「生きろ」とそう言う。 「きみって、ひどい」 はぎゅっとトカゲの腰に腕をまわして、その背に顔を埋める。 足元では凍りついた海、湾岸。人が人を殺す惨状が広がっている。も、トカゲも、この状況から逃げ出すことは簡単だし、関係ないよね、と言えばそれまでだ。しかしトカゲはここにいて、を、ここに残そうとしている。 「……知らなかったから、仕方なかった、じゃ、すまされないんだよ?」 人の悲鳴がここまで聞こえてきた。思いだす、の脳裏に思い出される、王国が、あの夜、滅亡した、あの王国の情景が、浮かぶ。耳には悲鳴が、人の殺されていく音が蘇った。 パンドラ・は王国に安住していた。王国の魔術師を師とし、アマトリアという兄弟子を得、師の祖母であるベレンガリアをよく労わっていた。薬草を育て、森を守り、歌を歌い、時折移民であることで迫害を受けながらも、その、ちょっと常識外れてね?というような言動でちょっと過激なことをしでかしても、それでもおおむね、平和に生きていた。 「あの日、ぼくと姉さんが分かれなければならなかった日。ぼくらの庭が打ち壊されて、コルヴィナスの血縁者がぼくらを破滅に導いた日。崖から落下する姉さんの悲鳴を、小屋の、燃えるベッドの上でぼくは聞いていたんだ」 ぎゅっと、はトカゲの腰を強く、強く抱きしめる。 あの日にお互い死ねていればよかった。それなのに、は海に流されながら生き延びて王国へ、そして自分は、半死半生のひどい火傷を負ったものの、雨に火を消され、いずれは連合軍となり王国を滅ぼす傲慢な王家に拾われた。 「ぼくはいつだって、姉さんの幸せを壊してきた。あの夜、王国が燃え落ちて、逃げる姉さんを、異教徒だと思って、ぼくは火矢を放った」 燃え上がる山村。逃げ伸びる人を、面白いとも思わずに、ただただ殺しつくした連合軍。は、その時は別の名前で呼ばれていた。連合軍の将の一人に仕えていた。白銀の甲冑をまとい、靡くその赤々とした髪が不吉なことと陰口を叩かれていたことは、知っている。その時の、の目は赤かった。己の庭を人間に打ち壊された憎悪、流された血の反映で、真っ赤に染まった目が魔女そのものだと味方からすれも恐れられていた。 「おれも、元の世界では滅んだ王国の生き残りとなっている。同じように、おれもあの日、矢を射られて転倒したが、あんなことがなくても、バージルの執念はパンドラ・を捕えただろうよ。それに、捕えらて、まんざら不幸だったわけでもないだろう?」 「姉さんとバージルが手を取って逃げた。その十日後、ぼくが、バージルを殺したのに?」 トカゲの体がぴくり、と硬くなったのを感じた。同じパンドラ・。同じように、トカゲも、元の世界で、バージルを愛していたのだろう。それがわかる。は唇を噛み締めた。 「ぼくは陛下に、姉さんの命の安全を条件に二人を追った。黒馬を駆り、逃げる二人を追って、追って、捕えた」 バージルは、姉を守った。剣を取り、片腕しかない癖に、に挑んだ。 連れ戻されれば、パンドラ・がどんな目にあうか、わかっていた。だって、わかっていた。しかし、その時の状勢にどう抗えというのだ?あれほど強大だった王国すらあっけなく滅び、姉を守るのは、世界の敵としての定義のみ。バージルにはその時すでに炎の悪魔がいたが、次々と発見される悪魔の実を集め手中に収めていた、陛下にどう対抗できるというのだ。 何かを守るには、それ相応の力がなければならないことを、はよく知っていた。 「そして、姉さんは世界政府が“正しかった”理由づけのための、罪人になった。当然、だよね。姉さんの心は病み、滅びのための歌しか歌わなくなった。そんなものを、承認できるわけがないって、そんなことを当たり前に教え込む王国の思想は危険だったって、なんて、好都合」 は思い出す。いつだって、どこか遠く、海を眺めていた姉の、姿。まっ白い塔、の扱う薔薇の戒め、蔦の這うまっ白い塔の最上部に閉じ込められた、世界の敵その姿。海の向こうへ逃げようと、そうバージルが姉に囁いたのだと暫く経ってからはダンテに教えられた。海、海、姉は海が大嫌いだったはずなのに。バージルと手を取っていれば、恐ろしくはなかったのだ。 「ぼくはね、トカゲ。姉さんが、ぼくを本当に殺したいんなら、あっさりと姉さんの手にかけられたってかまわない。でもね、トカゲ。違うんだよ、違うの」 姉の心が、蝕まれていく400年間を、よく覚えている。一日一日、息をするたびに、肺に黒い染みが入り込んでいくようだった。何もできず。ただ、それを黙ってみていた。姉がいつもいつも、箱を大事そうに抱えていることに気付いたのは、それからどれくらい経った頃だろうか。はその箱を開けてしまった。 「姉さんは狂う心の中で、それでも昔と変わらずぼくを愛してくれている。そんなこともわからないほど、ぼくはバカではないんだよ、トカゲ」 「で?じゃあなんかもういろいろ面倒くさくなったから、あとは二人で一緒に死ねばそれで万事解決とか、そういう展開か?」 「どうしてこう、そう、悪意のある捉え方にしかならないんだい?きみって」 「性分だ。それに、どう聞いても、そうだろ?おれは自己犠牲する生き物が大嫌いなんだ。自分のイノチとヒキカエにだなんて、くだらなさ過ぎて、吐き気がするぞ?」 にこり、と、それはもう美しくトカゲが微笑んだ。は肩をすくめる。 「間違いは正さないと。ぼくも、姉さんも、もうずっと前に死んでいるんだ。だから、ちゃんとゼロにしないとダメじゃない?」 「細かいことを気にするな。今生きてるんだから、生きればいいんだ」 ひょいっと、の首根っこが掴まれた。おや、とが目を丸くしていると、それはもう、トカゲが面白そうに笑う。 ま、まさか。は顔を引きつらせ、自分の首を掴んで宙づりにするそのトカゲの手、ありと、あっさりと、ぱっと、放され、そのまま落下していった。 「こ、この……!!!!!!!!!人でなしッ!!!!!!!」 叫ぶ、それをうっとりと見下ろしてからトカゲはにやにやと口の端を吊りあげた。 「いや、何をわかりきったことを。それになぁ、おれもさっき落下したし、お前も同じ目にあえよ」 外道である。
Fin
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