とりあえず、は頭が痛かった。何この目の前の惨状を引きつった顔で眺め、額を押さようとして、両手が塞がっている事に気づいた。左手では腰に座ったデッキブラシの柄を押さえ、右手では、バギーの足を引っつかんでいる。正直重くてしょうがないが、落下させるわけにもいかない。
「ぎゃあぁあああ、死ぬ!!死ぬ!!まぢで死ぬって!もーやだ帰りたい!!なんだよこの地獄!!!」
に足をつかまれ宙ぶらりん、になりながらも大声で泣き喚く、その姿。幸い、バギー親衛隊(命名)は逃げ惑うのに必死で気づいておらぬよう。こういう運だけはあるのだねぇ、としみじみ思い、ひょいっと手ごろな場所を見つけて降りる。幸い火山弾は1発のみ、まぁ、明らかに、ただの嫌がらせのため、本気で壊滅させようと思っている一撃でなければ、この地獄の釜のような現状、さしたる変化もないもの。はぎゃあぎゃあと騒ぐバギーの服をぱんぱん、と昔世話を焼いたときのように叩いて埃を落とし、ぽん、と頭を撫でた。
「ほら、もう泣くのはおよしよ。わかっただろうに、きみにこの地獄は過ぎたところだよ。大人しくお帰り」
「う、うるせぇよ!!お、おい、お前、おれの魔女になるってのは、どうなってんだ、結局」
ぐすっと鼻をすすりながらバギーがを見下ろす。背は、顔は多少変わってしまっても、昔と何も変わらぬその臆病者の様子。はふわり、と微笑んだ。
「きみが破廉恥極まりないことをぼくに言うとは思えない。どうしてそんなことを言ったの?」
「決まってるだろ、だって、お前、船長の言うことだけは聞いてたじゃねぇか」
「それで、自分もぼくの「船長」になれば、いいって?きみ、浅知恵だよ、ふ、ふふふ」
はハンカチを出してバギーの赤い鼻に当てる。ちーん、と、子供のように(随分と年を取ったものの)幼い様子の相変わらずさ、単純なものごとだけをきちんと把握して大事に懐にとどめている。ずるがしこいところがあるのに、こういうことでは本当に率直なのだ。
バギーの口から「船長」と聞けば、の脳裏にあの、己の船長、おれの魔女、と互いに沿い合ったひとが浮かぶ。今思えば、それは愛だったのかもしれない。いや、男女のもの、ではない。それならは今ここにはいなかった。親愛の情、であったのだろう。己は、そうだ、確かにロジャーを、あのひとを愛していた。父のように兄のように、弟のように、息子のように愛していた。
誰の口からでもなく、バギーから、あのひとを思い出させられるそのことが、に確かに、ロジャーへの愛を思い出させた。は青い瞳をゆらゆら揺らし、一度ぎゅっと掌を握り締めた。
考えた。もし、あの日、ローグタウン、ロジャーの処刑の日に、もしも、自分がシャンクスとではなく、バギーと一緒に、街を出たのなら、どうなっていたのだろう。あのとき、自分はバギーとともには行かなかった。シャンクスはバギーを誘った、バギーはそれを断った。自分は、ただロジャーを失ったことに泣き崩れているだけで、シャンクスに手を引かれるままだった。もしも、もし、本当に、もしも、あの日、あのとき、と、そう、思わずにはいられない。あのとき、と、強く思うときがにはこれまで3度あった。なぜ、どうしてと問わずにはいられないときがあった。
「きみを守ってあげたいけど、昔と同じ理由でぼくはきみとはいられない」
「?なんだってんだよ、お前、いっつもそう言うじゃねぇか。ハデに任せとけ、おれがお前を守ってやる」
いや、無理だって、とは即座に手を振った。どんな思い込みがあれば自分の周りの人間に、とは思いかけ、そういえばバギーは知らぬのだったと気付く。別にいまさら言ってどうということもないとは思いつつもは一度きょとん、と顔をしてから口を開く。
「ぼくはね、バギー。今までずっと、海軍本部の、赤犬のところにいたんだよ。ぼくは赤犬のものだったの」
さすがに、バギーの目が見開かれた。今こちらの言ったことを聞き間違いとしようか、とそのような巡回が一瞬目で見て取れて、それだからは弱々しく微笑む。何一つ、この子には嘘など伝えるものかと、それが昔からのことである。何もかも本当のこと。だからお前は弱いのだよ、と突きつけてきた。バギーのまぁるい目が一瞬、限界まで大きく見開かれ、そして、次の瞬間、ぐいっと、の肩を乱暴に掴んだ。
「何派手にふざけたことぬかしてんだテメェ!!!か、海軍にいただと!!?お前が…!?お、おれぁてっきりお前は、赤髪のところにいると……!ふ、ふざけんなよ!!!なんで、なんだってお前が、お前が!!!船長を殺した海軍のところにいるんだよ!!!?」
言われて、あ、そういえば、とは、申し訳ないが初めて気付いた。そうだ、そう、いえば、そうではないか。ロジャーは自分の意思で自主したとはいえ、それでも、殺したのは海軍の殺意ではないか。直接的にサカズキが手を下したなどというバカなことはない。しかし、そうだ。ロジャーは、海軍によって殺されたのだ。いや、そうではないと魔女の目であれば判じられる。ロジャーは自分の命を扱い、世界に石を投げ込んだ。ひとの声、命の炎、何もかもを扱ったところで、時代の流れを変えるには足りぬ、けれど、たった一言、が、小石となって歴史の流れに小さな波紋を生み出すこともある。その、投げ込まれた小石が重なれば大きな波にもなろうというもの。ロジャーは、そのための己の最後の大舞台、それをはあの日に知っていた。この自分との約束よりも、そんなものを優先させるのかと悔しささえあったのだ。けれど、エースがいたと、それを今日知り、何もかも、は、そうだ、一切合財、そう、だ、は、ロジャーが自分との約束を守ってくれたことを知っている。
(でも、へんだよね。ロジャー、生まれてくるエースくんを見るよりも、そのあと、一年、ルージュと過ごしてエースを育てるよりも、ロジャー、死ぬことを選んだんだよね)
こうしてそろった事実を考えれば、にはロジャーのその心が疑問であった。ロジャーのことだ。おそらくは、ルージュの腹にエースがいるときからそれはもう、喜んだだろう。まさか自分が子を成せるなどとは(も)思ってもいなかった。それだから、それがどれほどの喜びか、にはわかる。病、ではああった。治せぬ病であった。しかし、それでも時間は残されていたのだ。あと一年、その、たった一年だけでも「家族」であろうとはせず、ロジャーは最後の、そのときまで海賊として生きた。
ロジャーは、エースよりも、時代に一つの石を投げ込むことを選んだ。そのことが、には今、唐突に気付かされ、そして、バギーが己の肩をゆするそのままに、体を揺らし、そして、はたり、と、気付いた。
その、ロジャー、その意思での死であったとはいえ、からロジャーを直接的に奪ったのは、海軍の意思だ。それでも今、は。
「よりにもよってお前が!!船長を殺したやつらと一緒にいるなんて、おれぁ、おれぁ絶対許さねぇぞ!!!?」
「ごめん、バギー、ぼく、だめだ。ぼく……トカゲに言われて気付いていたんだけど、でも、ねぇ、どうしよう、バギー、ぼく」
叫ぶバギーの首に抱きついて、は首を振った。バギーの言葉はどうでもいい。酷いとも思わない。ロジャーの死は、自分の中で何度も何度も問答したこと。バギーが海軍を「仇ではないか」と言ったところで、それはもう、問題ではないのだ。
それよりも、それによって気付かされる事実に、はうろたえた。
+++
随分と白髭から引き離されたと、クロコダイルは舌打ちした。その間にも鬱陶しく絡んでくる海賊どもを蹴散らし、じろり、ふざけた形の船、その前方に立つ男を睨み付ける。トカゲには散々言われたものの、クロコダイル、本気で白髭を討つ心積もり、諦めなどするものか、と、そう思うと同時に、先ほど見えた「バカかテメェらは」と額を押さえたくなる光景を思い出す。
火の海に包まれると、小物の姿。クロコイダルにはあの道化に似た面相の男は小物以前の何者でもなかったがしかし、あの、どうしようもない小物だけが、の表情を、まだあの大将に捉えられる前の、いとけない魔女のものに戻したのだ。
砂嵐を呼び、忌々しくつぶやきながらも、内心は面白くて仕方がなかった。この光景を、あの大将が見ての先ほどの惨状や、あの、フラミンゴ野郎が見たらどうかと、そんな心が浮かぶ。力こそをすべてとする海の強者の、誰もなし得なかったこと、の素の顔を、夜を迎える覚悟をした、あの、髪も背も伸びた、まるで別人のようになってしまったから、引き出したのは、この場でもっとも弱いかもしれない、くだらない男の仕業であった。
クロコダイルは白髭からちらりと目を離し、戸惑ったような顔をして道化の男を見上げているを見た。インペルダウンで見た顔が、この幼い顔に塗り替えられていくのがわかった。意識の中で、かちゃりと動く。ただの意地のようなものだったが、しかし、悪い気はしなかった。ニコ・ロビンのことを思い出す。この世界が揺れるとき、あの女はどこに、何をしているのだろうか。火拳のエースがロジャーの息子であったという、その事実をクロコダイルは思い出す。世に、世界中に拒絶された半生。己は生きて良い者かと毎朝毎晩問いかけずにはいられぬ半生、それを思う。同情する気はない。しかし、思えば、エースとニコ・ロビン、ともに出会えばまだ何かしら違ったのかとも、そんなことを、考えた。
埒もない考えだ。クロコダイルは舌打ちをして、そして、腕を振る。挑んできた海賊、海兵らを散らし、隣で、それはもう面白そうににやついた薄ら笑いを浮かべているトカゲの腕を掴んだ。
「おい」
「なんだ?おれは今すぐ赤犬をからかいに行きたいんだが」
「別に止めやしねぇさ」
ひょいっと、クロコダイルはインペルダウンからずっと持ってきた、砂金の砂時計を投げて寄越す。あの地獄のような場所で、あの女に胸倉を掴まれようがなんだろうが渡さずにいたものである。トカゲは受け取ってから、目を細めてきた。
「卿はこれがなんだか知っているのか」
「いや、正直興味もねぇ。だが、お前や、あの魔女がそれを何らかの目安にしているってことくらいは、わかってる。てめぇは気にいらねぇが、それでも魔女の類なら、おれに何か頼むことがあるんじゃねぇのか」
背後でダズが海賊の一人を切り伏せた。どさりと倒れる音、土煙、クロコダイルは葉巻を吸い、指に挟んでそれをトカゲに向けた。
「跪いて言葉を慎みゃ、聞いてやってもいいぜ?」
「いや、むしろ卿がこのおれに跪いて懇願しろよ」
傲慢に言い放てば、トカゲ、息を吸うようにあっさりと言い返してきた。いい度胸というよりもいい根性である。思わずこめかみを引きつらせるが、そんなことを察してどうこうするトカゲではない。ふん、と鼻を鳴らして、トカゲが首を傾ける。
「please、と卿に頼むことはあるにはあるがな。言葉に出さずとも卿はもう理解している。それなら、おれが膝を折るのは徒労というものじゃあないか」
「おれが協力してやる義理はねぇ」
ころころと、トカゲが喉を震わせて笑った。笑う声がカンに触る女はこれで2人目だが、眉を顰め、それで葉巻を口に咥えるしか起こす行動も見当たらぬ。そうしているとトカゲが、それはもう、楽しそうに言うのだ。
「卿がを見捨てられる?そんな展開は、ドフラミンゴとが挙式を上げて赤犬が笑顔で祝うくらい、ありえんことだよ」
殴り飛ばしてやろうかこの女と思って腕を上げかけ、クロコダイルはそのまま、うまい具合に飛び出してきた白髭海賊団3番隊隊長のジョズに吹き飛ばされた。あの女がふざけたことを抜かしていなかったら絶対避けられたと、そう強く思うことにしよう。
++++
ドフラミンゴは唐突に、今日はパンを焼き、明日は肉を焼く。明後日はお后の子供を浚って食べてしまう、そんな童話を思い出した。随分昔に、珍しく機嫌の良かったが読んだ絵本の内容だ。
『おれはお前が嫌いだ。ドンキホーテ・ドフラミンゴ』
最後の夜に、バーソロミュー・くまが、態々ドフラミンゴの部屋を訪ねてきたのを思い出す。そんなことを言いにご苦労なこった、と嫌味っぽく、眠い瞼を無理やり起こして言えば、くま、いつも何を考えているのかさっぱりわからなかったあの、巨体の男。ドフラミンゴに一冊の本を押し付けた。普段から持っている本、ではない。初めて見るものだった。挿絵のない絵本、いや、童話の詰まった本だった。真夜中に突然来てなんのつもりかと判じかねていると、くまが、若干強張った声で言うのだ。
『もうお前に会うこともないだろう』
ドフラミンゴは、ここ最近、政府とくまがなんらかの取引をしている、という話を耳に挟んでいた。海軍のあの科学者、ベガパンクがくまを使ってなにやらしている、とそう聞く。は知らないようだったので、なおさら気になった。人間兵器を作り出す、とそういう話。
今日は手、明日は足とご当人の意識は残したまま施される改造。少しずつ己の自我が削られていく。行動も制限されていく。そんな、日々を送ったくまが、よりにもよってなぜ、あの夜に自分の所に来たものか。それがわからぬといえば、わからぬし、しかし、まるで見当がつかぬ、というわけでもなかった。
「ルンペルツキルツティン、知ってるか。名前を当てなきゃ赤ん坊を食っちまうぞっていう、そういう鬼の話」
ドフラミンゴはひょいっと腕を振って、また一人の頭を落としながら、死体の山の上で胡坐をかく。誰に問うているわけでもない。ただつぶやく声のその受け手など、ない。
せっかくが自分からドフラミンゴのものになる、と言ってきたのに、あっさりと手放した。後悔がかけらもないなどとはさすがにいえない。いや、ちょっと惜しかった!!せめてもっといろいろしときゃよかったぜ!!と、本当に思うのだけれど、しかし、ドンキホーテ・ドフラミンゴ、現実主義者だ。どのタイミングで引かなければならないのか、わかっている。
「自分のガキがわらを金に変えられるとか、バカなことをぬかしやがったオヤジの尻拭いで、バカな娘が殺されかける話だ。ただ泣いてりゃ、まぁ、童話だからな。都合よく誰かが助けてくれるっつー、そういう話」
ひょいっと、また一つ死体をつくり、肩を竦める。ひっきりなしに襲い来るこの状況。ドフラミンゴは顔を上げての様子を見る気にもなれなかった。トカゲとがどこかへ行ってその後に、が、ゴール・D・ロジャーのところにいた見習いのところにいたのを確認している。あの道化の面相そのものの男に、ドフラミンゴは覚えがあった。昔赤髪とよく一緒にいたのを見ている。あの雨の日も、あの広場にも、いた男だ。
「フ、フッフフフフ、フッフッフッフフフ」
その、ドフラミンゴの目には小物か何かにしか見えない、道化のような男、の目を元に戻したではないか。それがドフラミンゴには、腹立たしい。誰もできぬことだった。共犯者になった自分にも、あの大将にも、できなかったことを、ありとあっさり、あの、くだらねぇ男ができた、とその事実は腹が立つ。
「しかもしまいにゃ、を自分の魔女にする…!?フフッフッフフフ」
直後降った火山弾に便乗してやろうかとも思ったほど。赤犬がをどうこうするのも気に入らないが、しかし、あんな小物にくれてやるなど冗談ではない。
ドフラミンゴ、素直にイラっときていた。
Fin
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