WJ沿い49号02話
後方に回り込んだ戦桃丸は、湾岸の様子に一度眉を跳ねさせ、そして次に、湾岸から少し離れた場所にいる、懐かしいくせっ毛を発見して、目を見開いた。
「ピア?」
戦桃丸の周りには、ここまでつれてきたパシフィスタたちが並んでいる。戦桃丸はけして小柄な男ではなかったが、巨体なパシフィスタに囲まれれば負けようもの。その大きな垣根を避けるようにして、ひょいっと顔をのぞかせて、戦桃丸はもう一度しっかりと確認をした。
海軍の作戦では、自分たちがここへ来る頃には湾内に海賊達が集められているはずだ。それが随分とばらけている、というこの状況は解せぬが、しかし、それよりも、なぜピアがここにいるのか?
「一緒にいる、ありゃ、魔女じゃねぇか」
声を潜め、戦桃丸は顔を歪ませた。全体的に色素も幸も薄そうな髪の長い女に見覚えはないが、その女が拘束している赤い髪には覚えがあった。戦桃丸の記憶より歳が上に見えるが、しかし間違いなくあれは悪意の魔女その人だ。なぜピアが魔女とともにいるのか、そして、なぜここにいるのか、戦桃丸はじっとその、懐かしい姿を見つめた。
戦桃丸の記憶にあるピアの姿より、彼女は美しかった。シャボンディにいたと聞くが会えなかった。今や犯罪者となったピアに遭遇せずによかったと思う反面、やはり一度くらいは言葉を交わしたかったとも思っていた。ピアは相変わらず、全体的にやる気の感じられない様子で、魔女と何か言葉を交わしている。さすがにそれを聞くことはできなかったが、戦桃丸、咄嗟にボルサリーノの姿を探した。
オジキはピアを殺す。そう戦桃丸は知っていた。
ピアは時折自分では手に負えなかった詩篇について「私には無理です(笑)」や「あれは自分でやってください」「あんなの封印できるわけないでしょヾ(-д-;)」など、読んだ瞬間が嫌な顔をするようなぐだぐだな手紙(本文1行程度)を送ることがあった。その手紙をそっと拾い、いつも大事そうにしまっていたボルサリーノを知っている。一度、本当にたった一度だけだが、ピアがボルサリーノに当てて書いた愛情籠もった手紙を、いつまでも、何度も何度も、読み返していた姿を知っている。
それでも、オジキはピアが目の前にいたら躊躇わずに殺すだろうと、戦桃丸は知っていた。だから咄嗟にボルサリーノの姿を探す。この広い戦場、強者のはびこる中、出会わなければいいのだ。そう願う、戦桃丸の耳に電伝虫の声。一瞬ぎくり、と身を固くした。何を考えているのだ、と自分を失跡する。シェイク・S・ピアは犯罪者だ。大将が討つのは当然ではないか。
戦桃丸は受話器を手に取り、聞こえてくる声に耳を傾けた。
「こちら戦桃丸」
『あ〜、戦桃丸くん?ごめんねぇ〜』
普段電伝虫をまるで使いこなせぬくせに、こういう戦場においてはそんなオプションのない大将どの。ボルサリーノの間延びした声に、なぜだか戦桃丸はいたたまれなくなった。元々、オジキはだらしのないところがあったが、しかし、自分のことはしっかりと自分で出来る人間だった。しかし、引き取った姪が成長するにつれ、世話を焼かれることが楽しくなったか、あれこれと手を抜くことが多くなった。ピアが「仕方ないですねぇ」と困ったように笑いながらボルサリーノのネクタイを直している所を、戦桃丸は何度も見ている。ピアが消えてからも、ボルサリーノはそのままだった。待っているわけではないだろうに、その姿がなぜか、時折どうしようもなく、悔しい。なぜ、どうして、ピアはオジキを捨てたんだと、そう、何度も何度も、毎朝毎晩、海に向かって叫んだものだ。
「オジキ、ちょっと作戦と違うようだぜ」
『お〜ぉ〜。それがねぇ、白ひげが何となく察しちゃってねぇ。困ったねぇ〜』
いや、絶対アンタちっとも困ってないだろ。と、そんな突っ込み待ちかと言いたくなるような声音で告げるボルサリーノ。とりあえず戦桃丸は突っ込む体力が無駄だと長年の付き合いで知っているのでスルーして、湾内をぐるり、と眺めた。
随分バラけている。センゴク元帥の立てた作戦のほんの一部ではあるが、しかし大事な部分でもある。とりあえず自分の次にすることは決まっているが、戦桃丸は一度、さて、どうするかとは思った。
左右は崩されている。そして、包囲枠の中で何もかも起こして突きつけねばならぬ以上、それなら邪魔と判断される外れ者をどうこうするべきか。
『予定通り傘下の海賊たちから狙え!』
センゴクからの通信が入る。朗々たる声である。センゴクは海兵としての気質がそれほどあるわけではないけれど、センゴク元帥のその声は、身が引き締まった。ピアのことを考えるのは後だ。あの人ならそう簡単にくたばりはしないさ、とそう自分を納得させる。
「オジキ、軍艦も壊れるがいいか?」
「最小限でねぇ〜」
とりあえず、確認を取っておかねばならぬことをしっかりと口にする。湾内から溢れた海賊たちをどうにかするというのなら、当然周りの軍艦もひっちゃかめっちゃかな状態になる、ということだ。別段それはどうでもいいが、誰が責任取るんだ、というところで戦桃丸は自分の名前が挙がるのが嫌だった。とりあえず大将のオジキがOKしたからいいだろう。戦桃丸はぐっと、一歩前に踏み出した。
「始めるぞ!!」
+++
この戦争自体は面白くて仕方ないが、しかし、気に入らないことが多すぎるというのが、実際の所ドフラミンゴの率直な感想だった。些か離れた場所にて、主演の解体ショーが行われている。あの小娘ども、絶対生きて帰さねぇぞと何度も心の中でののしり、しかし、じっと、ドフラミンゴはその様子を眺めていた。キキョウに害されるたび、の顔が苦痛に歪む。痛みには慣れてと言うが、それでも痛いものは痛いから嫌いだと、以前言っていた。ドフラミンゴは手のひらを握りしめる。今すぐに飛び込んであの小娘どもの首なりなんなりを跳ねるべきだ。だがドフラミンゴは動かなかった。は悲鳴を上げぬ、それどころか落ち着き払った様子、さえしていた。
誰であろうと、を侵すことなどできぬということは、わかりきっていることだった。
少しでも悲鳴を漏らせば今すぐ飛んでいくだろうと、自分を察している。当人も、おそらくはそうだろう。しかしその瞬間、は何かに敗北するのではないか。そうはせぬ、の意地のような、誇りを貫くようなその姿、ドフラミンゴはただじっと眺めていた。そして、先程から脳裏にちらり、と浮かぶ疑問が一つある。数時間前にドフラミンゴはを抱いた。出会って初めて抱いた。熱に浮かされるほどの心地よさと激情がそこにはあった。些か背は伸びたが、それでも小さなの体に肥大した己の欲を埋め込み突き立てた。ドフラミンゴが知る幼女そのもののの体ではなかったことが若干達成感を損なわせたが、性行為としてはこれまでで一番満足するものだった。
そして、ドフラミンゴは気づいたのだ。のその体は処女ではなかった。
いや、とっくにあの大将に食われてるからだ、と上辺で思うのは容易い。しかし、体における損傷を何もかも修復できるのがだった。傷を負っても治る。
の体、いや、鷹の目の言葉通りに言うのならノアという少女の体、処女を喪失したままの状態が「元通り」であったことになる。
何か、変だとその違和感がその時からドフラミンゴの脳内にこびりついて剥がれなかった。
シェイク・S・ピアの指がの眼球をえぐり出す。その途端、ドフラミンゴは一歩前に進んでいた。いつでも直ぐに指先を動かせるように準備はしてある。じゃりっと、砂を踏む音が耳に届くのとほぼ同時に、ドフラミンゴの前に一人の海兵が立ちはだかった。
「お止め、ドフラミンゴ」
静かな声だった。この、緊迫した状況を刺激せぬようにとつとめて感情を押さえ、しかしそれでいて普段通りであると堂々と言われても納得できるだろう、低く、落ち着き払った声だった。ドフラミンゴの腰ほどしかないその海兵を、じっと見下ろす。
「おつるさん」
「あれはあの子の戦いだ。あたしや、アンタが手を出していいものじゃない」
「おつるさん」
最初と、そして最後は違う意味合いで名を呼んだ。それがわからぬおつるではなかろうに、しかしぴくん、と一度眉を動かしただけで、こちらの「邪魔するなら」という敵意を綺麗さっぱり受け流す。
おつるはたちの方へ視線を向け、腕を組んだ。この間にも戦争はひっきりなしに続いている、というのにこのおつるのゆったりとした様子。隙と判じたか海賊の一人が斬りかかってきて、ドフラミンゴがそれを蹴り飛ばした。当然上げる声は「おつるさんに触んじゃねぇ」である。なぜ海軍にはおつるさん親衛隊がいないのだろうかと常々不思議だ。おつるさんが強いのは知っているが、絶対あったほうがいいに決まっている。そんなドフラミンゴの様子におつるは困ったように眉を寄せてから、息を吐く。
「あぁもおおっぴらに人質に取られちまったんだ。こちらも何かしなければならないんだろうね。のことは当人がどうにかするにしても、あの子は“悪意の魔女”なんだ。今がどうであれ、あの子を守ることは海兵の義務であり続けているんだよ」
「それなら、なんで止めんだよ」
おつるさん、と少し不機嫌に言う。他人は利用するためのもの、が信条のドフラミンゴだが、この世に3人だけ、利用する気が最初っから起きなかった人間がいる。そのうちの一人がおつるだった。ちなみにその3人には入っていない。今は違うが、昔はどう利用してやろうかと考えることが楽しかった頃がある。とにかく、度フライミンゴの中で、おつるは、とはまた違った意味で特別だった。のことは欲しいと思う。何もかもを手に入れたいと思う。だがおつるさんにドフラミンゴが望ことは、ただ、自分が会いに行ったら話を聞いてくれると、それだけだった。突き詰めれば、きっとおくるさんを殺すことはそれほど難しくないだろうと思う。容易い、とは言わないが、できないともドフラミンゴは思わなかった。だが、遊びに行っておつるさんがいないのは嫌だという、その点があるだけだ。
だからドフラミンゴは今現在、自分の邪魔をするおつるを睨むだけで何もしない。もしもこれが他の海兵であれば、とりあえず操ってあの詩人とかいう小娘の結界らしいものに突っ込んでみる。
「火拳のエースの処刑はしなければならないんだよ。ドフラミンゴ」
はっきりと告げるおつるの声に、感情というものがまるで含まれていなかった。必ず執行する、という強い意志だ。それでいて、おつるには他の海兵等のような正義へのぎらつきがない。
まがりにも海軍本部大参謀を任せられる女傑である。そこに個人としての感情、あるいは海兵としての責務など存在させてはならぬことをよく理解しているのだ。
「魔女の娘たちが何をしようが、そんなことは海軍の決定に影響を与えることはないんだよ。本当なら何かをしなければならない、だからこそ、何もしないのさ」
お前もするんじゃないよ、と、そう釘をさされた、その瞬間。
さっき氷塊蒸発させたときより威力ねぇか?という程の熱量を抱えた火山弾がピアの結界に向けて飛ばされた。
「………」
「おつるさん」
あたり一面火の海★な状況にはならなかった。しゅぽん、と面白い音を立てて、ピアの周りにある何かがその火山弾を吸収する。それを眺めながら、ぽつり、とドフラミンゴは隣にいるおつるの名を呼んだ。この短い間で何度か呼んでいるが全て意味合いが違うのが面白い。
簡単に通訳すれば「あれいいの?」ということだ。
ついっと、おつるが珍しく気まずそうな顔をしてドフラミンゴから視線を逸らす。ぽそり、と「あの馬鹿」と言っているのが聞こえたが、いや、おつるさんはそんなこといわないから!と耳にフィルターをかける。
そしてドフラミンゴは、その火山弾が降ってきただろう方向、つまりは処刑台付近に視線を向けて、それはもう嫌そうな顔をした。
そこにいるのは体躯のいい大将と、女にしては長身、赤毛の女である。以外に並んでいれば似合いに見える、などと一瞬そんな感想を持つドフラミンゴの耳にトカゲの怒鳴る声が入ってきた。
「何をしてるんだ!!!!ピアの結界が強かったからいいものの…!!今おれたちが手を出せばの状況が変わることくらいわかっているだろう!!!」
「だったらなんだ。わしの目の前で、わし以外がアレをいいようにしちょるんが気に入らん」
言い切った。あの男、思いっきり言い切りやがった。ドフラミンゴは素直にこう、いらっとした。この戦争自体は面白くて仕方ないが、しかし、気に入らないことが多すぎるというのが、実際の所ドフラミンゴの率直な感想だった。その大体の原因であるのはあの男だ。偶然装って殺してやろうかと、一瞬本気でそんなことを考える。
+++
とりあえずセンゴクは、赤犬の行動は見なかったことにしたかった。
考えたら頭と胃が痛くなるばかりだ。
大将赤犬・サカズキ、3大将の中で普段は最も頼れる男だ。実力も性格も問題ない。青雉のぐだぐだ加減や、ボルサリーノのあのマイペースさをどうにか出来る数少ない人物で、信頼もしている。
だがしかし、こと、に関係してのあの男の言動だけは、気にしたらキリがない、と諦めなければやっていけない。センゴクは少し前に見た「戦場で何してるんだお前等!!」というような、二人の(いや、あれは赤犬が一方的だったが)いちゃついている場面を思い出し、顔を引きつらせた。けして、作戦実行に手を抜いているわけではないだろう。やるべきことは、要求以上にしてくれている。大将として相応しい行動から外れてはいない。のことを除いては!!!
目下でがシェイク・S・ピア、それに白ひげ海賊団のところのキキョウに拘束されている、その光景を眺める。エースの解放を条件に突きつけて来たが、そんな要求を呑む気などない。体中から血を流すを、センゴクは感情の籠もらぬ目で眺めた。ぼんやり、片目しかないがこちらに顔を向ける。
(無様だな)
センゴクは声に出さずに、そうに告げた。
随分と面変わりをした彼女は、それでもまだ魔女だとセンゴクは感じた。身のうちの能力、そして抱える記憶だけが魔女たる定義、ではない。が今心中で何を思っているのかなど知らぬ。少し前におつるさんと共闘していたのも眺めていた。だが、しかし、それでもセンゴクはが「世界の敵」であると、そのように感じている。
ぴくり、と、センゴクの蔑みに気づいたか、の体が小さく震える。
あれほど傲慢で尊大、そして気高くあろうとしていたが、こうもあっさりと、己を憎む者の手によって害されている。それを無様と言わず何というのか、と、センゴクはさらに目を細めることで、伝えた。
はぼんやりとしていた青い目に濃さを取り戻し、ほんの一瞬、燃えるような赤い色に変化した。センゴクを見つめ返し、目を細めてゆっくりと唇を動かした。それを確認して、センゴクは湾内を囲むようにして現れたパシフィスタに視線を移す。
これから起こる惨劇、に部類されることを考える。誰かがやらねばならぬこと、そして、いつかはやらねばならぬこと、だ。センゴクはもう一度、この時代、白ひげを討つとする己の覚悟に問いかけた。
おそらく、自分の名は後生に悪名として残るだろう。だが、それがどうした。
ぐっと、センゴクは腹に力を込めて宣言した。
「予定通り傘下の海賊たちから狙え!」
+++
真実の愛というのがこの世に存在する、という戯れ言をピアは本気で信じていた。戯れ言、と自身でそう称しているように、ピアはそのうさんくささをしっかり理解している。その上で、その存在を行程するだけの心があった。
ピアは、なりふり構わず、ノリノリでドS亭主ご光臨、という様子崩さぬ赤犬を見上げ、猫のように目を細めて喉を鳴らした。
この詩篇の強度を知らぬ者ではないだろう。大将赤犬サカズキが、何をどう、どこまで存じ上げているのか、それはピアにも分からなかった。だが、何もかもわかっていて、それでも貫くその姿は、拍手喝采を送りたいほどだった。いや、まぁ、拍手しようとした手をそのまま切り落とされるのがオチだろうが。
うっとりと赤犬を見上げるピアに、がぺしん、と血の付いた指先を当ててくる。平手打ち、を食らわせるほど筋肉が働きはせぬのだろうが、ピアの視界から赤犬を外すことくらいは出来た。
「貴方のような生き物が嫉妬ですか?似合いませんよ」
何か言いたそうにしたが、喉をつぶされている以上口を開くのは徒労と理解している、ふん、と眉を寄せただけだった。ちらり、とを押さえつけるキキョウを見た。
正直、ピアはキキョウに失望していた。彼女、何を阿呆なことを考えたものか、を人質にしてエースの解放を願うなど。そんな要求に応じる海軍のはずも無かろうと、ピアは些か呆れた。だが、と言ってピアはその愚行をどうこうしようとは思わなかった。彼女は気づいているのだろうか。を殺す、という千載一遇のチャンスを、カッサンドラの魔女は、家族の為に見過ごしている。
いえいえ、違いますね、とピアは微笑した。キキョウが本当にを憎悪している、その心だけがあるのなら、今ここであっさりの首を落としていたはずだ。己ならそうしている。身を焼き尽くすだけでは足りぬほどの憎悪、それがリリスに対するカッサンドラの遺志。どこまでもどこまでも、キキョウは半端なのだろう。今も、エースをじっとキキョウが見つめている。海軍の中にはに好意を寄せる者が多い。それなら、ほんのわずかでも連中の足並みを崩せるのではないかと、そんな、生娘のような期待をしている。
ピアが誘った時、そしてを捕らえたその瞬間まで、キキョウは確かにを一撃のもとに殺す決意をしていた。油断をすればこちらが負ける。たとえ当人が、その心中においてとある決意、とある自覚ゆえに、魔女としての力を失ったとしても、魔女である本来の素養自体は消えぬ、この世で最もおぞましい女に変わりはない。(まともに挑んでどうなるか、ピアはあえて考えなかった。はっきり言って面倒くさい)キキョウは最初の一撃での命を奪うはずだった。だがしかし、しっかりと、の体を羽交い締めにし、そして、彼女の頭に浮かんだのだろう。
優先すべきは、己の復讐、報復ではなかった。キキョウは、そう、思ってしまったのだろう。エースのこと、マルコのこと、そして白ひげのこと、己をこれまで構成してくれた世界のさまざまなことを、愚かしいことに、キキョウは顧みてしまったのだろう。
「常々、不思議に思うことがあるんです」
それならもう、キキョウには殺せぬと、それが決まり切ってしまったことだ。ピアは、未だじっと、エースを見つめて動かぬ、しかしから刃を抜かぬままのキキョウは綺麗さっぱり意識から消して、に顔を向ける。
痛みは感じても呻く醜態は晒さぬらしい。は苦痛ゆえに額にびっしりと浮かんだ脂汗、そして眼球を抉られ、ぼとぼとと垂れていく房水が血の色を薄くする。真っ青な目がピアを見つめ、うろんな者でも見るように細められた。
ピアはゆっくりと口を開く。
「貴方は炎を恐れていますね。それが死因だったから、と、そう詩篇には書かれて、いえ、違う。“貴方”が炎を恐れるから、リリスの死因が炎であると、そう、思わされているじゃないですか」
今この話をするつもりではなかった。だが海軍が動くまでの暇つぶしにはなる。ピアはこれまで己が回収してきた膨大な量の詩篇を頭の中に浮かべる。リリス、リリス、リリスの日記。夏の庭の魔女と、冬の庭の魔女の、その憎悪の生涯を記した、全13巻からなる本。刻まれた文字は文字として人が認識することは困難で、ピアはどんだけ悪筆?と冗談半分に言ったことがある。が、しかし、読み解けば世の悪意がかいま見えるもの。解読できるのは記した当人、とされる“”と、それに詩人と定められた少女だけだ。そのリリスの日記の回収のための詩人にピアがなって、もう10年が過ぎた。
「でも、わたしが集めたどの詩篇にも、リリスが「死んだ」記載がない」
詩人は一世紀に1人、現れるか、現れないか、というものだ。当然回収はまだ半分も終わっておらず、しかしピアがこれまで集めた中で、リリス、夏の庭の魔女が「死亡」したという記載は見あたらなかった。
「井戸の中から出た双子の姉妹。その片割れであるリリスは炎に焼かれた。けれど、最初の炎は彼女を酷いやけど状態にしただけで、命までは奪わなかった。酷い嵐がやってきて、雨が降って、リリスを殺すはずだった炎がかき消された。2度目の、小屋の中での炎で死んだのですか?いいえ、それもおかしい。もしもあの時にリリスが死んだのなら、いったい、その後に白銀のつるぎを振るい、炎の騎士を殺したのは誰です?箱の中から、ノアをそそのかしたというリリス。でも、箱に魂を閉じこめるなどということが、本当にできるのですか?」
一度疑問が口に出されれば、つらつらと、ピアの口から言葉が続いた。昔はよくこうして何でもに聞いた。オジに手を引かれ、連れて行かれた真っ白い部屋。沢山のおもちゃに囲まれた、人形のように美しい少女がだった。は何でも知っていて、しかし何も知らなかった。ピアはに様々な問いかけをして、そのたびに背後ではセンゴク元帥が咳払いをしていた。そんなことを思い出す。
「そもそも、詩人とは何です?」
ピアはこれまで、詩人になったことを後悔した夜は一度もなかった。己の願いと目的のために選んだこと。何の悔いがあろうかと、一瞬でも後悔すればその途端、全てが無駄になると分かっていた。だがしかし、先程キキョウが、の身をその腕に閉じこめてあっさりと、己の憎悪を解消させ、己の、本質、家族を思うという心に気付かされ、そしてエースのために己のこれまでの全てをあっさり捨ててしまったように、シェイク・S・ピアは、ほんの一瞬、本当にわずかだけ、そのアメジストの瞳を幼く揺らした。
「リリスの日記に記された詩篇を回収し、リリスの日記を開く者と、そうされていますね。しかし、詩人は魔女である必要はない。それでは、リリスの日記とは、では誰が何の為に書いたのです?」
戦場がまた騒がしくなってきた。センゴク元帥は、やはりの身が人質になろうとなんだろうと、構わぬだろう。いや、いっそ偶然でもいいから死んでくれ、くらいのことは思っているのではないだろうか。ピアはまっすぐにの青い瞳を見つめた。
リリス、リリス、リリスの日記。人が扱うにはすぎたもの。人に理解されることを最初から放棄しているもの。ピアはこの10年、ひたすら詩篇を集め、くみ上げてきた。ペルルの魔女の実を受け入れて得た力より、詩の力を使うことを好んでいた。リリスの日記。その、著者。ピアは己が読んだリリスの日記が、どれも「わたしは」とリリスのことを記載していることに違和感を覚えていた。
「詩人とは“”候補の少女のこと。そして詩篇、リリスの日記は、“”を作り上げるために必要な長い長い、暗示の言葉なのではないですか。だから、貴方も使えるのではないですか、」
そもそも、井戸の中で双子は死んでいる。妹だけではなく、姉も殴り殺されている。それなら、後に登場したと、リリスというのは誰だ?片方だけが死んだのなら、どちらがどちらということもあろう。だがしかし、二人とも、折り重なって死んでいる。その事実の上に、なぜ。
「“あなたが死んだ、はずがない”」
問いを続けるピアを、じっと見つめていたがゆっくりと口を開いた。喉は焼いたはずだ。それでも、今、はっきりと言葉が出ている。いや、その声はわずかに掠れているが、しかしそれでも、声が出ていた。
「“リリスはを、はリリスを夢に見た”“私は私を夢に見る貴方を夢に見る”“君は君を夢に見る私を夢に見る”枯れた落ち葉が誰もいない森の中で落下したところで、誰がそれを現実だと証明するんだい?シェイク・S・ピア、分かっているだろう?ぼくも、そして姉さんも、夢だよ」
靜かにが、そのやや掠れた声で口を開く、と、その同時に、周囲に爆音が響いた。起っていられなくなるほどの振動、白ひげのものではない。ピアは後方へ視線を向け、戦桃丸が引き連れたパシフィスタが白ひげ傘下の海賊達に総攻撃をしかけている光景に気付いた。
その振動でわずかにキキョウの重心がずれる、どん、と、はキキョウの体を蹴り飛ばし、そして腕で剣をなぎ払った。切り落とされたはずの腕で、である。
「!!!ピア!!ぼさっとするな!!逃がすのか!!?」
「よそ見をしていたのは貴方もでしょう。逃がしませんよ」
ピアはとん、と腰の鞭を手に取っての足首をねらった。巻き付くはずのその鞭を、が腕を振って切り払う。魔術の類、ではない。の手には短刀が握られていた。ノアの剣である。
「腕、切り落としたはずですけど」
「幻肢痛というのを知っているかい?」
はピアとキキョウから数メートル離れた位置で止まり、短剣を構える。キキョウは悔しそうに歯ぎしりしながら、体中に備えさせた刃を向ける。足下は氷だ。キキョウのスケート靴のような武器はそのまま移動手段にもなり、そして凶器にもなろう。ピアはの肩をじっと見つめた。確かに切り落とされたもの。だがしかし、今は綺麗さっぱり元に戻っている。
口に出された幻肢痛というのは、切断されたはずの体の一部が、脳はそうと把握せず、しかし、失ったゆえに情報の更新できぬことが影響しているのではないか、と言われている。
ピアは先程が告げた“あなたが死んだ、はずがない”という言葉を思い出した。
「“彼女が死んだはずがない”それこそが、リリスとの最初の呪い。ぼくはね、心理学的に言うところの思い込み効果による現象が得意なんだよ」
は幻よりは精巧な腕でゆっくりとスカートを広げ、恭しく礼をした。
「謎やら責任やら何もかも、トカゲの言葉じゃあないけどね、ねぇ、シェイク・S・ピア。ぼくね、さすがにそろそろ、うっとうしくなってきてしまったんだ」
だん、とが片足を踏み鳴らせば、ピアの結界が崩壊した。魔女の力の類、ではない。がピアとキキョウの魔女の意識に圧勝した、その勝利ゆえのことである。は血だらけになった自分の服をつまんで嫌そうにしながら、長く伸びた髪を払う。
「姉さんを殺すとか、殺されるとか、そういうのも面倒くさいねぇ。ふふ、ふ、ぼくは悲劇のヒロインかい?歯を食いしばって悲劇に望む、だなんて、まるでらしくない」
キキョウの体が動いた、一瞬で間合いをつめて、の首を狙う。当然は繰り出された一撃を短剣で受け、そしてキキョウがその足につけた刃で腹を狙う、その攻撃を鞘で受けた。ぎんっ、と金属同士のぶつかり合う音。が低い声で笑う。その青い目には、無邪気さしか浮かんでいない。それでいて、狂人のそれを含まぬ目の色に、ピアは、自身の敗北を悟った。
が自覚をしたことには気づいていた。だから力を失ったのだ。しかし、その、さらに上をは今、している。
「よぅくお聞きよ、荒地の魔女。ぼくはね、今この時点で自覚してしまって、気づいてしまったんだよ」
ピアは聞いてはいけない、と本能が告げていた。耳をふさがなければ、とても、聞きたくない言葉が今の唇からあっさりと告げられる。なぜそんなことを、自分が聞かなければならないのか。聞いて、どうしろというのかと、理不尽ささえあるだろう言葉が、のバラのような唇から漏れるのだろう。
「何があろうと、何をしようと、ぼくはサカズキが好きなんだよ」
うわ、聞きたくねー、こいつも開き直りやがった。と、口が悪ければそれがピアの心情。それはもう愛らしい、花がほころぶような微笑を浮かべて、堂々とのたまいやがった、夕日色の髪の少女に怯み、一歩後ろに下がった。
は凍りつくような顔をするキキョウを見上げ、そしてばしんっ、と思い切り平手打ちを食らわせた。
「ぼくは、だ。それだけでいい」
Fin
|