「それで結局、振り出しに戻るってことですか?何の問題の解決もせず。あなた、バカですか」

侮蔑を孕んだ、というよりは呆れ見捨てるような響きという女の声が、何だか和んでしまったその場に唐突にかかった。ドフラミンゴは素早くを後ろに引こうとするが、しかし、自称これから王子様目指します☆という、そんな庇われることはハナっからごめんとばかりに足を踏ん張り拒絶する。それで仕方なくドフラミンゴは頬をかき、ザッ、と現れたシェイク・S・ピアに顔を向ける。

「詩人の小娘が何の用だ?」
「わたしは鳥に用はありませんよ。雉含む」

え、俺も鳥に括られた!?と青キジが何やらショックを受けたように顔を引きつらせるが、当然三人は無視をする。は剣を構えておらず、それがどういう意味かと判じる前に、ピアが緩やかに腰を折った。基本的に、人のことをゴミか何かを見るような目をしている女だが、しっかりと教育を受けた半生、それらしくふるまえば、に劣らぬ淑女の振舞いである。先ほどの解体ショー主催者でなければ戦場だろうが何だろうがクザンは口説いたかもしれない。いや、黄猿が怖いと即座に首を振ったが。

「あなたには失望しましたよ。悪意の魔女どの」

見つめる三対の目を一つ一つ丁寧に見つめ返してから、ピアはアメジストのような瞳を細める。相手の神経をゆっくりと羽毛で逆なでするような柔らかく美しいが、勘に触る声だった。しかしはそんな相手の態度に眉ひとつ動かさず、切り落とした髪の先が気にかかるのか指でくるくると巻きつつ口を開く。

「君の期待に応えるために魔女なんてやってるわけじゃないからねぇ」
「がっかりです。素直に死んでくれればよかったんですけどね」

やれやれと溜息を吐き、美しい柳眉を潜めるピア、は露骨に喉を震わせて笑い、肩を竦めた。こちらも傲慢さを隠そうとはせず、相手を小馬鹿にしたような態度である。

「色々事実やら記憶やらが押し寄せて、ぼくもらしくなくテンパってしまったってことで頼むよ」
「そんな軽薄な言葉で片付けられるような問題じゃないんですけど」
「簡単な問題だと思うけどね」
「どのあたりが?」

ピアの眉間に皺が寄る。確かに、があっさり言い捨てたような気軽さでどうこうということではなかっただろう。それは誰の目にも明らかだ。何百年に及ぶ、魔女と能力者の間に存在する優劣の消失、呪いの抹消、そしてパンドラ・の起床というどう扱っても大問題だ。それに伴い、の体の成長と、そして「死ぬ」という決定事項。こうしては開き直ったような態度を取ってはいるが、しかし、実際のところは何の問題の解決もしていない。

実際ドフラミンゴなどは他のことなどどうでもいいが、が明日を迎えられぬというその事実は大問題だと思っていた。は何とかする気になってくれたが、だが、手があるようには見えない。

はすっと、ピアに近づき、いささか背は伸びたもののそれでもピアよりは頭一つ小さな体。見上げるように顔を上げ、小首を傾げた。

「ぼくが諦めなければいいだけじゃあないか」

短くきっぱりと言う。その言葉にピアが不快を表し眉をひそめたのを確認して、は楽しそうに口元を綻ばせ、軽快にリズム良く言葉を続ける。

「姉さんを殺さない、姉さんを狂わせたままでいさせない。ぼくは死なない、誰にも殺されないし、ぼくを殺させない。夜の女王の呪いに屈しない、リリスの記憶に飲み込まれない、この千年生きてきた何もかもを捨てないで、ぼくはぼくでいればいい。それだけだよね」

簡単じゃァないか、とそう言って目を細める。どう聞いても、容易さなど欠片も感じられないが、しかし、はあっさりと言う。それができないと判り切っていたばかりに、は様々なことを諦めて、ただパンドラを殺し、自身も死ぬことを選んだのではないか。ピアは解せぬ、というようにの瞳を見つめる。先ほどの一線にてピアがえぐり取ったの片目はやはり元には戻っていない。長い前髪に片方が隠れているが、もしもその、空洞になっているだろう場所が見えてもの美しさは損なわれまい。そんなことを場違いにも思った。

「できると思っているんですか」
「こんな程度のことを、このぼくができないと思っているのかい?ぼくを誰だと思っているのさ。ぼくは魔女、悪意の薔薇を抱く魔女だよ」

眉を潜めるピアのもっともな言葉、は緩やかに首を振ってから、微笑む。夕日の色褪せた髪、背もいくばかりか伸び、手足も長い、珠のように白い肌。服はあちこち自身の血で赤黒く染まり擦り切れている。それでもの本分たるあどけなさ、幼さ、そして他を寄せ付けぬ圧倒的な美しさは健在である。魔女としての力を失ってなお、最たる悪意の魔女として君臨するだけの素質がにはあった。

「なりたいものができたんだ」

力の差、ではない。そもそもの身の程が違いすぎるという明らかな事実を確認し、押し黙るピア、はクリスマスの贈り物を思いついたように無邪気な声で云う。

「大将夫人ですか」
「絶対それは嫌」

ものすごく嫌そうに顔を顰めてが即答した。あ、嫌なんだーと遠巻きになっていたクザンがぼそりと突っ込みを入れるが、やはり二人は無視する。

「ぼくは王子様になるよ。シェイク・S・ピア。ぼくは王子さまになる」

堂々と言い切ったに、珍しく目を丸くするシェイク・S・ピア。一瞬この恐ろしい本性をした魔女が何を言ったのかを理解できずぱちり、と瞬きをしてから、ゆっくりと言葉を噛み締め、ピアは眉をひそめる。

「どう考えても、あなたは姫君のポジションでは?」
「それクザンくんにも言われたけど、ぼくを何だと思ってるの!!?」

同じことを言われたのか、が泣きそうな顔をした。当然演技ではあろうが、嫌がっているというのは本当だろう。は他を寄せ付けぬ圧倒的な魔女だが、しかし、大将の傍にいるときは、どう見ても魔女というよりはお姫さまのようであった。ピア自身、幼いころに出会ったとき、あのいかついごっつい逞しい(表現に悪気はない)赤犬の傍に、お人形のように美しいを見て、驚き、そして物語のお姫様はこういう生き物なのではないかと夢心地に思ったものだ。本性を知らないあの頃は無邪気だったということで、ピアの黒歴史である。

「魔女が王子になれると思っているんですか」

それにしても王子さまになるとは、とピアは呆れる。そもそも魔女とは王子さまの居ない女のことだ。または、お姫さまになれなかった女のこととも言うが、まぁ、それはどちらでも結果は同じ。そして魔女とは王子さまに殺されるものだ。お姫さまを守るために王子さまは魔女を殺すと、それが物語の決まりごと。よりにもよって、魔女が王子さまになる、などとは。

魔女のルールを良く知るの発言とは思えずに呆れていると、はまた一歩ピアに近づいた。

「ぼくは、魔女を救う王子さまになるんだよ」

ぴくり、と、ピアの小指が反射的に動く。こちらが動けば、傍観しているドフラミンゴが殺気をぶつけてくる。どこまでも命な男であると鼻で笑うのは簡単だが、この状況。白牙の魔女の剣技を使うと、大将青キジ、そしてドフラミンゴを相手という冗談のような戦況はどう見ても不利である。キキョウではあるまいし、ピアは切り刻まれるなどごめんだ。

だがしかし、の言葉をあっさり受け流すことは出来かねた。

「冗談で言っていい言葉ではありませんよ。特にわたしを前にして」

この世には存在しない。魔女のための王子さま。

それになる、とは言う。魔女であるなら、それがどういう意味を持つのかわかっているはずだ。魔女たちは夢を見る。身を苛む魔女の呪いからの解放者。姫君には必ずいるが、しかし、姫君にはなれなかった魔女には永遠に現れることのない、王子さま。

王子というのは、ただの言葉のアヤである。魔女を救う王子というのは、つまり。

「あなたには無理です」

ピアは込み上げる憎悪を何とか押し殺した。個人的な感情でイラっとくるのは久しぶりだ。敵意を抑え、静かに、なんとかそれだけをいう。しかしは引かない。

「本気も本気だよ。ピアくん。ぼくは死んであげることもできないし、夜の女王に体を渡すこともできない。でも、ぼくは王子さまにならなれるんだよ」
「いいです、結構です。そんなことをいまさらされても迷惑です。それよりもあなたが死んで夢を終わらせてくれた方がわたしはすっきりします」
「ピアくんがすっきりしても、ぼくが嫌なんだよ」
「自分の行いを少しは恥じているのなら、わたしの願いくらい叶えてくれてもいいんじゃないですか」

妙にムキになっている、とピアは冷静に判じた。いや、無理もないことだ。こういう言い方はピアの好むところではないが、の悪意の一端によって魔女となったといっても間違いではない己に対して、そんなことを言ってくるの性根が信じられない。

「ピアくんのために、なんて言った覚えはないよ。ぼくはぼくの自尊心を満足させるそのためだけに王子さまになるって言っているんだよ?」

いや、の性根が腐りきっていることはわかっていたことだ。

「殺意が湧くんですが、どうしましょう」
「ぼくの知ったことじゃァないね」

ピアの言い分を鼻で笑い飛ばすだけで、堂々と自分の主張をしてくる。文句があるのは当然、という顔をして、けれど相手の言い分を聞く気はまるでないという、そういう顔。魔女というより、悪魔である。悪意の魔女やら白牙の魔女ではなくて、ここはもうすなおに判り易く「悪魔の魔女」とか名乗った方がいいのではないかと言いたい。

は自分の言いたいことを好きなだけ言ってすっきりしたのか、にこにことこちらを見上げている。その顔をひっぱたいてやりたいが、手が痛くなるだけだ。ピアはゆっくりと溜息を吐いた。

「ドンキホーテ・ドフラミンゴ」
「ァん?」

ここまで散々無視されていた、ドピンクのドフラミンゴの方へ顔を向け、ピアはから離れる。から離れてこちらに来るならドラミンゴは殺気を消した。自分の身より優先ってどういうことだという突っ込みをするだけ無駄だろう。ピアは自分や、そして伯父より背の高い海賊を見上げて、不本意ながら、頭を下げた。

「不本意ですが、今からわたしはあなたの魔女になります。召抱えてくださいね」











+++







「え、ええ、ええええええ!!!?」

珍しい、の驚いた声が辺りに響いた。クザンも思わずびっくりしてしまい、と揃ってピアに詰め寄る。

「え、ちょ!!!?ピアさん!!!?何言ってんの!!!?」
「ピアくーん!?早まっちゃだめだよ!!!?何考えてるの!!!?」
「悪意の魔女どのの選んだ道に比べればわたしのこの程度なんです」

二人に詰め寄られてもなんのその、シェイク・S・ピアはその涼しげな美貌に何の反応も見せない。ちなみにある意味運命の告白を受けたドフラミンゴは、これまたこの男も珍しく硬直している。いや、分類的に良い女に入るピアからそういう提案をされて男として嬉しくない、というわけではないのだが、どうしたらこういう展開になるのか、誰もついていけない。

しかしドフラミンゴはすぐに我に変えって、今すぐ辞退しないとなんとなくヤバイような本能的な危険を察知した。さすがは危険と隣り合わせの日夜を送る男である。

「フッフフフフ、冗談じゃね、」
「拒否権なんてそんなものあなたにはありませんよ」

断ろうとしたドフラミンゴにぴしゃり、と冷水のごとき言葉を浴びせる。ドフラミンゴは素直に青筋を立てた。基本的にには罵られてもバッチ恋なためM疑惑が浮上しているドフラミンゴであるが、この男、一応は外道の海賊、七武海で最も、油断ならぬと警戒されている人物だ。悪事など寝起きにいくつも思いつき、ビジネスのためなら友と慕ってくれている相手を売り飛ばす。情けと容赦を以外では演技としてしか使ったことのない男。政府お抱えの詩人であろうとなんだろうと、こんな小娘に小馬鹿にされる覚えはない。

「フッフフフ、口の利き方には気をつけろよ、小娘」
「己の身の丈の半分もない女性に脅しをかけるのは器が小さいとに嫌われますよ」

撃沈した。

「七武海の一角に召抱えられていれば、あなたの近況も判りやすいでしょう」

ずーん、と落ち込むドフラミンゴを放置して、ピアはを振り返る。

「魔女を救うことが可能だというのなら、まず初めに、最初の魔女であるあなた自身が救われる、その事実を見せてください」

出来もしないこと、とは言わなかった。自身にはいつだって、彼女を救いたいと思う殿方が時代時代に多くあふれていたはずだ。けれどは手を取らなかった。いや、取れなかったのだとピアは、詩人たるシェイク・S・ピアは気付いている。だがしかし、ここで「魔女を救う王子さま」を目指すというのその決意、まるで理解できぬわけでもない。

静かに言い、そしてが無言で膝を折るのを見届ける。先ほどピアがした礼儀作法に則った一礼と動作は同じであるが、しかし、年季は明らかに違っていた。ピアは素直に、幼いころ夜会で見かけたの美しい姿を思い出す。その時の心を打ち消すように首を振ってから、ピアはドフラミンゴの肘を掴んだ。

「さぁ、さっさと仕事しますよ。上司どの」

当人の承諾は得ていないが、ピアの中での決定事項である。呼ばれた名称に一瞬ドフラミンゴは嫌そうに顔を引きつらせたが、また何か言って言い返されるのが嫌だったのかそれについては触れずに、ピアの腕を振りほどく。

「ちょ、ちょっと待て!!おれはに用が、」
「求愛のダンスは戦争が終わった後にしてください。海軍が負けてもいいんですか」
「大歓迎じゃねぇか」

むしろ死んでくれ特に赤い大将、と真顔で言うドフラミンゴ。がすかさず蹴りを入れようとしたが、それをクザンが抑え込んだ。話が余計ややこしくなるからだろう。

ピアは駄々をこねる子供を扱うような口調で、ドフラミンゴを見上げた。

「上司どの、わかってますか。わたしを召抱えるということは、魔女を所持しているということで大将赤犬と立場が一緒です」

が背後で不満そうに「このぼくをピアくん程度のレベルの魔女と一緒にするなんて無礼だよねー」などとほざいているが、それは無視する。

「魔女の所有者として、悪意の魔女に会いに行く権利があるじゃないですか」

きっぱりと言えば、次の瞬間、ドフラミンゴがそれはもう前向きになったのは言うまでもないことである。









+++









ずるずるとピアに引きずられていくドフラミンゴを見送って、は小首を傾げた。なんか、シリアスムードから離れてってないか?一応今現在の状況を説明すれば、白ひげが刺されていて、裏切っただの何だのとそういう展開になっているということだ。


「なぁに、クザンくん」

いいのかこの状況、とが首をかしげていると、クザンが声をかけてきた。さすがにいつまでもここにいるのはよくないと判っているのか、ちらちらと処刑台の方を気にしている。サカズキでもいたらヤだなぁ、とはなるべくそっちを見ないようにしているので、何を見ているのかはわからないが。

「何考えてるか聞いて良い?」

じっと、クザンはの目を見つめる。クザンには解せなかった。があんなにあっさりとサカズキを好きだ、といったことが、妙に納得できない。少し前に、この戦争が始まる前に「ドフラミンゴが好きなんだ」と言った時のような、演技の延長線かとも疑いたくなる。

「朝日を見ようとしているだけだよ」

そんなクザンの疑念に気付いたのか、は何の偽りもない、というように首を振り、青い目で見つめ返す。

「すごく難しいことだよ。今のぼくにはね」

は、死んでしまうかもしれなかった。それはもう、なんとなくだがクザンにも判ってきている。段々と、の存在している気配が薄くなっている。背中に傷でもあるのか、時折顔を顰めていたことも、気付いていた。だが、なぜそうなっているのか、ということは判らない。クザンにはわからないことばかりだ。サカズキは何もかも知っているのだろうが、自分は判らない。だから聞くしかないのだ。

「なんで難しいの?」
「だって、眠くて、眠くて仕方ないの。背中も痛いし、どんどん寒くなってくる。寝ちゃったら楽なんだけど、でも、朝日を見たいの」

やはり、はわかるようには説明しない。しかし、嘘を言っているわけでもないとそれだけは判った。そして、なら自分が言うことは、はっきりしている。

「やっぱり、お前さんはサカズキに会うべきだよ」
「嫌だよ。だってサカズキは、」

クザンはひょいっと、に目線を合わせるべくしゃがみ込んだ。は、サカズキに合うべきなのだ。あの石頭が何をどう開き直ったのかは知らないが、を嫁発言のKYさは置いておいて、を守ろうとしている自分の心と向かい合う気になっている。そしても、魔女の運命、うんぬんかんぬんだけではなくて、そのほかのことを、何とかしようとしている。

自分は何も知らない。魔女のこと、何もかも、判らないし、出来ることなど殆どない。だがクザンは、がいなくなったら困る。朝日、とは言った。意味はもしかすると違うかもしれないけれど、クザンも、に明日の朝日を見て欲しかった。サカズキと二人で見てほしかった。いや、別にソーユーコトと求めているのではなくて、明日も、その次の日も、とサカズキが同じ場所で朝日を見てくれれば、クザンはそれでよかった。

「なぁ、ちゃん。随分昔、おれが大将になった日のこと、覚えてる?」
「ガープくんが酔っぱらってベランダからボガードくんが落ちた日のこと?」

クザンにとっては、思い出して楽しい記憶ではなかった。階級が上がることなど、クザンはもう求めていなかった。迷っていた心やら、何やら。オハラでのこと、いろんなことがめまぐるしくクザンの周りを変えていた。そんな中で、やはり変わらなかったのは、とサカズキだけだった。

はクザンの言わんとすることに気付いたのか、きょとん、としていた目を細め、そして俯く。クザンはゆっくりと、の、片方しか残っていない手を取った。

「立ち止まらないって決めたらな、やっぱりちゃんは、サカズキに会うべきだ」

自分がにしてやれることが殆どないことを、クザンは判っている。それでも、とサカズキの二人が揃っているのが消えてしまうのは嫌で、そして、自分でもできることは判っていた。サカズキなら、を助ける事が出来る。ドフラミンゴの開き直りっぷりを、クザンはうらやましく思った。おそらくは、ドフラミンゴも一度はこうして諦めて、けれど持ち直したのだろう。クザンは、自分はそうはならないことを判っていた。当然だ。誰よりも長く、近く、クザンはとサカズキを見てきた。二人は、お互いがいるのが一番良いのだ。を幸福にする、という決意のある者は多い。できる者も、もしかしたら結構な数、いるのかもしれない。けれどクザンは、もう随分と長いこと、に片思いをしていて、諦めて、そして、サカズキとを見守ってきたクザンは判っていた。

「あの時、言おうと思ったんだけどさ」

じっとクザンの手に視線を落としていたは、少しの沈黙ののちに、顔を上げた。

「うん?」
「夜会で女性に渡すのはカクテルじゃなくてパンチだよ」

真面目な顔で言われて、思わずクザンは噴き出した。が心外そうな顔をする。

「なぁに?大事なことだよ。君がまだ独身なのはそういう微妙なさじ加減が原因だと思うし」
「おれが結婚しないのはちゃんがサカズキとくっつかないからで、恋人はいるよ」

ひとしきり笑い、クザンはひょいっとを抱き上げる。さすがにそろそろここを離れなければならない。先ほどの剣の使い方を見る限り、この戦場でも十分やっていけるだろうが、は今回の海軍の作戦を何も知らないのだ。巻き込まれて、などということは避けたかった。それに、そろそろ白ひげも本気になって攻めてくる。

「ちょっと本気で走るから、舌噛むなよ」

クザンはの返事を待つ前に、高く飛び上がった。







++++







湾内で口々に叫ぶ、叫ぶ、断末魔。それらをクザンにひょいっと荷物のように抱えられながら眺めて、は眉を潜めた。

「ねぇ、サカズキがあの海賊を唆したの?」
「そういう作戦だからね」
「ふぅん」

スクアード、と、そういう名前の海賊。確かがまだロジャーと一緒にいたときに戦った海賊団にいたとか、そういう話。そんな覚えがあるようなないような。キキョウあたりに聴けば憎悪と一緒に返してくれるだろうかと意地の悪いことを考える。

「すっごい光景」

ぼんやり、はパシフィスタに襲われあたふたと逃げ場を失い殺されていく海賊たちに目を落とす。白ひげとスクアードは何か話しているようだった。一方的にスクアードが叫んでいるようだ。信じたくなかった、だの何だの。
まさか白ひげを指す、息子がいるなどとはどんな奇跡かとは素直に驚いていた。ピアの言葉ではないが戦争では裏切りがつきもの、戦争の華、とそういうことだろうか、とそんな外道な思考。だがしかし、やはり、こちらの唆しがあったのか、という原点。

言い分を聞いてみれば、なるほど、白ひげがエースの命と引き換えに傘下の海賊たちを売ったとそういう展開になっていたらしい。それを知ってスクアードの裏切り。白ひげを逃がすことをよしとしない赤犬がスクアードに取引を提案してきたと、そう、いう展開。

「バカみたい」

ふふ、とは鼻で笑い飛ばした。

「あ、やっぱりちゃんは判る?」

ひょいっと、瓦礫を飛び越え、海軍の陣地までやってきてクザンがを下ろした。トンとコンクリートに足をつけはモビーディックを見つめる。

白ひげが息子を売るなどということはまず
あり得ない。そんなことを絶対にしないから、仲間を本当に大切に、誰彼構わず同じように愛してしまうから、あの男は白ひげなのだ。

は小馬鹿にしたように目を細めてから、クザンを見上げる。

「サカズキは海賊を逃がす約束なんて絶対しないよ。普通、判りそうなものなのにね」
ちゃんほどサカズキのこと知ってる連中じゃないからね」

クザンの評価にはなんとなく、顔を赤くした。それで、ごまかすように首を振って、それで、白ひげのやりとりに耳を傾ける。スクアードの泣き声のような、悲鳴のような、白ひげへの罵声がこちらにもよく届いた。

「アンタはおれたちを裏切ったんだ!!!」

悲痛、悲痛、本当に辛そうな声である。はうんざりとして、襲ってくる欠伸を噛み殺した。さて責められてばかりのエドワードくんはどうするのだろうかと、さして興味もなかったが、それでも見守った。傍らではマルコが今にも噛みつきそうな勢いでスクアードを睨んでいる。よりにも寄って親と慕う相手を指すなどどういう教育をしているのか、などと責める権利はにはないし、する気もない。

「おや、まぁ」

泣きわめくスクアード、そして白ひげが動いた。

は目を見開き、唖然と口を開く。

「バカな息子を、それでも愛そう」

直接声が聞こえたわけではない。スクアードの声より、それは小さな声だったろう。だが、なんと言ったかくらいは予想ができた。そういう男なのだ。白ひげは、エドワードという男は、そういう生き物だ。己に攻撃をしてきた、海軍の口車に乗せられた息子を、優しく抱きしめて、目を伏せる。その姿は慈愛に満ちていた。裏切った息子の葛藤を、裏切られたと思われた息子の心を、全てすっぽりと包みこむほどの深い深い、愛があった。

そういう男だ。

あの男は、懐に入れたものをけして憎みはしない。いやそもそも、白ひげは誰も憎みはしない。そういう男だ。だから白ひげは、エドワードはと折り合いが悪い。

トン、とは片足で地面を蹴り、足元にあった小石を蹴り飛ばした。ひゅん、と小さな小石は飛んで氷の海に転がる。転がっていくその小石を眺め、つまらなさそうに体を傾けてからは剣の柄を握り締めた。

「ねぇ、クザンくんは化け物の殺し方って、知ってる?」

白ひげの次に取るだろう行動を慎重に、大将の目で見守っているクザンを見れば、クザンは険しい顔で首を振ってから、もう一度を抱き上げる。

「急ぐぞ、。そろそろ本気でやばい」

ドン、と大気が無理やり引きずられる音がした。鼓膜に悪い、キーンと頭の中で妙な音が響き、三半規管がぐるぐると不快を訴える。は残っている片目を歪め、走り出すクザンに抱えられながら白ひげの姿を目に入れる。

裏切られたと、信じられぬと口々に言う息子たちを叱責し、退路を作った世界で一番、家族の多い男。本当は誰にも死んで欲しくないだろうに、もうこの戦争でこの男はどれほど息子を失っているのか。それでも前に進むと吠える。

足し算をしないのだろうかと、は不思議に思うのだ。エース一人の命を救うそのために、一体何人の命を失っているのか。スクアードがあっさりサカズキの口車に乗せられたのも、無理からぬことではないか。いや、その足し算せぬところ、には男の意地やらうんぬんかんぬん、があるのだろう。それはもわかる。理解はできないが、知ってはいる。そういう意地が、この戦争を生んだのだと思えば、女の身の己としてはハタ迷惑な、とそんな外道なことを思いはしない。海軍を「こちら」と思う覚悟をしてはいるものの、それでもそれは、サカズキが海軍だからであって、戦争の理由やら、男たちの決意・意地などは正直、どうだっていい心に変化がない。

「おれと共に来る者は命を捨てて来い!!!」

胸から血を流し、見る限り老いた真っ白い男、それでも滾る覇気と精気の衰えぬ、海賊。周囲に響く大声で叫び、ドン、と、船から飛び出した。

は眉を寄せる。

冗談抜きで、世界を滅ぼす力を持った男がやってきた。本気になった。そろそろ、ヤバイ、というクザンの言葉には同感だ。白ひげが戦場に加われば、それこそ、島が沈むかどうかという問題にも発展してくる。海軍には明らかに不利だ。エースの処刑台を直接狙える技だって白ひげにはある。それに、はキキョウにとどめを刺さなかったことを思い出していた。あの程度の魔女、とは思う。なんだかんだとピアがこちら側に来てくれたのなら、ピアがキキョウを抑える可能性もあるだろう。だがしかし、その前にはひとつ、失念していたことがある。

やっべ、トカゲのこと忘れてた。

一番忘れてはいけない問題だった。いや、本当。よく忘れてられやよね、と感心する。

トカゲはの味方であるとは言っているが、彼女は、本当の意味での魔女である。気に入らないことがあれば目的そっちのけで趣味に走る。すっごい爆弾。それはもう、仲間にしていることがいいことかどうか首を傾げたくなるが、敵に回しても厄介極まりない魔女である。そのトカゲの性格、も判っている。海軍の今の作戦を気に入りはしないだろう。どちらかといえば、あの低い笑い声を響かせながら、作戦を考えたセンゴクの後頭部に回し蹴りを繰り出してくるだろう。

思い当れば、は本当に頭が痛くなる。クザンは何がなんでも自分とサカズキを引きわせる気でいるが、はそんな展開はごめんである。サカズキと会ったら、どうなるのか見当もつかない。

折角あれこれ考えて、折角前向きに生きようと思ったのに、サカズキに会ったら、きっとまた自分は考えることが増えるに決まっている。

トカゲのこともあるので、サカズキのところに言って動揺させられるのはごめんだ。

もぞっと、体を捩じらせてクザンから離れようと剣を抜く。どうせ放してくれないだろうと判っているので、乱暴だが腕を切り落とさせてもらう。と、その剣がクザンの腕を切るその前に、の腕が引っぱられてクザンの脇からすり抜けさせられた。

「あれ?」

ひょいっと、そのまま地面に着地させられ、何が起きたのかを目で把握する前に、なんとなく本能で悟り、は顔を引きつらせる。

ものすごく顔を上げたくないのは何故だろうか。










Fin