「帰りらせろ」
がっくりと、肩を落としながらドフラミンゴがクザンの隣に腰掛けた。
縁側、まだ流し素麺は始まっていない。
あれこれとサカズキが料理の腕を振るう真っ最中、それは別に、ドフラミンゴにはどうだっていいのだが、しかし、ヒマなのでぐるり、と家捜し(というほどでもないが)この赤犬との家を見て回った、ドフラミンゴの感想はその一言である。
「あー・・・ひょっとして、気付いちゃった?」
「フフフ・・・こういう時は自分のカンのよさが嫌になるな・・・ッフフフフ」
俺も最初に来たときそうだった、と、クザンが訳知り顔で頷く。というか、何か疲れているような、遠い目である。
まさか青雉と意気投合するようなことがあるとは思わなかったが、ドフラミンゴはどっかりと腰を下ろしたまま、溜息を吐いた。
豪華絢爛を好むではないことは、ドフラミンゴも知っている。
どちらかと言えば、小さな家、こじんまりと、小さな幸せをはぐくみたいのだと、はにかんでいうその顔をドフラミンゴは想像すればみぞおちの辺りが苦しくなる。
この家は、まさにまさしく、が思い描いた「小さな幸せ」がたくさん詰まっていた。
あからさまに、ではない。たとえば、二階へ続く階段は、一見は普通だが、が猫化しても楽に上がれる高さになっていたり、暗闇を恐れるのために、電気などではなく、軽く発光する塗料が使われている。
台所の高さは、サカズキにあわせてあるが、隅のほうには、が普段使っているのだろう立ち台があった。
何もかも、さりげなくをいたわる構造。
ものすごーく、ドフラミンゴは嫌な気持ちになった。
小さいとわかっているが、嫉妬である。
見せ付けられたような、そんな思いがする。
ふくれっつらになるのはみっともないので、サングラスの奥の目を細めて、重心を後ろにやり空を見上げた。
「俺だったらよかったのによ。これを全部そろえたのが俺で、アイツが待ってるのが、俺だったら、良かった」
「それ思ってるの、お前だけじゃないからね、ドフラミンゴ。言っとくけど」
そんなことは言われなくともわかっている。
今だって、を想う連中のなんと多いことか。
我の強い奴らばかりなのだ。たとえ、今が幸せであろうとなんだろうと、「自分はもっと幸せにできる」と自信を持って言うだろう。
ドフラミンゴだって、そうだ。
赤犬からを引き離せば、きっと悲しむとわかっている。泣くだろう、ともわかっている。それでも、今以上に幸せにしてやりたいと思うのだ。そして、できる、とも思う。
どうすればいいのか、明確なものがあるわけではない。だが、を幸せにするためならなんだってするという、そういうつもりだった。
「未亡人になんねぇかねぇ」
ぼそり、と呟けばクザンが顔を引き攣らせる。
「それ、が聞いたらぶっ飛ばされるよ。あと、聞くけどサカズキが遺して死ぬと思ってんの?」
死神が総勢で迎えに来たって「間に合ってる」とあっさり追い返しそうである。
新聞の勧誘じゃねぇんだぞ、と突っ込みを入れたいが、まぁ、たとえ話。
海賊の自分と大将のサカズキ、どちらが長生きするのか。考えると億劫なので、ドフラミンゴは考えることを放棄した。
「サカズキ、あ、のね、ぼく何か手伝うよ?」
「貴様は大人しゅう寝ちょれ。準備が出来たら起しに来ちゃる」
そういってすっかり布団の中に収められては困ったように眉を寄せる。ドフラミンゴを持て成す義務などこれっぽっちもないけれど、しかし、といって、サカズキの奥方である以上、お客人にはしっかりとした対応をしたいと、それがの意地であった。
いや、クザンにしてもドフラミンゴにしても怪我をしているに世話をされたくないと思うが、そういうことには気付かぬのがの阿呆なところである。
不服そうにするの頭にぽん、と手を置き、サカズキはそのまま布団をかけた。
首元まですっぽりと、隙間のないことを確認してから、眼を細める。そうしてじっとを見下ろせば、の顔が真っ赤になった。その青い眼に自分が映っている。サカズキは満足を覚え口の端を軽く歪めると、そのままの額に手を置き、瞼、目じり、頬をゆっくりと撫でた。
猫のように喉を鳴らし、が笑う。
「ドフラミンゴを連れてくるなんて、サカズキ、どうしたの?」
「貴様は、あれがおれば喜ぶじゃろう」
「ぼくはサカズキさえいればそれで世界で一番幸せだよ」
「そんなことはわかっちょる」
当然、といわんばかりの顔をサカズキはするけれど、おや?とは首を傾げてくる。
「サカズキ、どうしたの?」
「どうもしちょらん」
「機嫌悪いっていうか…落ち込んでるの?ひょっとして」
「貴様はわしが落ち込む人間に見えるか」
これっぽっちも思えない、と普段であれば即答するところだ。しかしはサカズキの妻である。夫の些細な変化、いくらなんでも気付くというもの。
「ぼくに嘘はつかないでって、約束したの忘れたの?」
ぴこん、との頭から真っ白い猫の耳が生える。不機嫌なときや本気になっているときは出るもので、誰よりもそうと知っているサカズキはため息を吐いた。この状態になると島の1つや2つはあっさり消える。なるべく癇癪を起こさせるな、とセンゴクに言われているがサカズキは別に本気で焦ることはない。しかし問われたことを答えねばの気もすまないだろう、仕方なしに口を開く。
「いつも思うんじゃがのう、なぜ貴様はわしを頼らんのじゃ」
「そういうのキライなの」
「貴様を守りたいとわしが心から思っちょるのにか」
「じゃあ聞くけど、サカズキはぼくに守られたい?」
「ありえんな」
即答するとが顔を引きつらせた。だが自身、サカズキを守る、守れる、などと考えたことが一度もないのは明白だ。そういうところが、の魔女たるゆえん。現在は魔力(とそう呼んだほうが理解しやすいもの)を一切失っている、とはいえ、かつてトカゲがそうであったように、魔女の素養というのはなくならぬ、は魔女ではないけれど、しかし、完全に魔女でない、わけでもないのだ。
「それと一緒だよ」
「違う」
はサカズキを守る、守れる、などという関心はない。サカズキも守られるつもりは皆無とはいえ、そこにあるものは信頼などではなくて、ただの。
「意地悪だって、わかっているけど、聞くよ?ねぇ、サカズキは、だから、ぼくをここに閉じ込めておくんでしょう?他の選択肢なんてないように」
「……」
「何が不満なの」
「それは、恨み言か」
ぴくん、と、の耳が動いた。この姿でいるときはリリス時の性格が強く出る所為でサカズキの些細な言動が神経に障ってしょうがないらしい。普段のであればさして気にもしないのに、その辺が、まぁ、ツケといえばツケなのだろう。
はひくっと顔を引きつらせてから、身体を起こした。折角かけた布団が台無しになり、薄い背、胸が見える。
一度きつく睨みあげてくる顔が愛らしい、と本気で思ってそのまま口づけでもしようと顎を掴めば、拒絶された。
サカズキはこの行為にはイラっとくる。
怪我人であるとは頭の隅でわかっているが、それでもが自分を拒むことが許せずに、ぐいっと、乱暴にその身体を寝台に押し付けた。
「っ!!!」
「恨み言も呪いの言葉も好きに吐け。自由以外の全てを貴様に与えてやる。じゃから、」
「ぼくは何にも要らないし、不満なんて何一つないの。君の傍にいられるのなら、ぼくは何にも、欲しくないよ」
サカズキの言葉を遮って、が、押し倒すサカズキの首に腕を回して抱き付いてきた。ふわり、と血と薔薇の香りにサカズキはめを見開く。柔らかな少女の身体が男の硬い身体に押し付けられて、痛みなどないはずなのに、サカズキは心臓が抉られるような痛みを感じた。
「怪我してごめん」
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