異世界越え。
それは、いくらチート能力所持者だといわれている魔女たちの間でも「それは無理でしょ」と苦笑いと共に否定される最終奥義。
実際やってのけたのが、かの悪名高きトカゲ中佐であることからもそのありえなささがよくわかる。
いや、本当ないから。そんな反則技仕えたら海軍の戦力アップに貢献させられるとか現実的な突っ込みもあるから、と、一応は至高の魔女であるすら存在を完全拒否している。
しかし、今現在は自分で描いた、それはもう見るからに胡散臭い白薔薇の魔方陣の中心に立っている。何をしようとしているのか考えるのも嫌そうだが、リリスの日記を胸に抱いた状態で「異世界越え」を試みようとしているのだ。
(こ、このぼくがこんな…こんな非常識極まりないことを…!!)
うぅ、と詩篇を唱えながらも情けない声が出てしまうのは仕方ない。分別のある魔女ならけして行わぬ反則技。実行した瞬間その他の魔女たちに「やっちゃった子」と失笑、後ろ指を差されても文句の言えぬほど恥ずかしい行為。
しかし背に腹は変えられないとはよく言ったものである。
「これで元の世界に戻れるの?魔女というのはグランドラインの非常識さが常識的に思えるわね」
「この目で見てねェことは信用せん主義じゃがのう、こうも目の前に突きつけられちゃァ信じねェわけにもいかんか」
「煩いそこ外野!!静かにしてよ!!」
部屋の隅に立つ長身の男性海兵と女性海兵が口を開けば、はたまらず文句を言った。はっとしたときにはもう遅い。折角途中まで完成させていた門があっさり台無しになっていた。
「おどれは妙なところで抜けちょるのう…」
せっかくやったのに、とがっくりと膝を落とせば、先ほど発言した男性海兵とまるっきり同じ声、しかし別に人物が妙に面白そうに言ってくる。
自分が失敗したことに自尊心を傷つけられたが、は注意を逸らしてしまったのは確かに己の未熟さだとわかっている。不満そうに頬を膨らませるだけに留め、近づいてきた海兵の手を取った。
「サカズキはなんでそんなに余裕なの。戻れなったら一番困るのはサカズキなのに!」
「おどれの慌てる顔が見たい」
「〜〜!!!素で言ってるから反応に困るよ!!」
「第一、貴様はわしの慌てふためく姿が見たいか」
「そういうサカズキもきっとかっこいいんだとは思うけど、一緒に慌てちゃったらどうしようもないから冷静でいて」
「身勝手じゃのう」
言いながらサカズキはひょいっとの小さな体を抱き上げた。詩篇が存在せぬこの世界でその力を発揮するのは普通なら不可能。だがその辺の魔女やトカゲなどよりも力があると自負している悪意の魔女。なんのかんのと力技でここまでこぎつけているようだった。しかし無理に使えば体力が奪われる。失敗したが相当の疲労があることは長年連れ添った(違う)サカズキの目には明らかである。
当然のように抱き上げれば文句を言いたそうな顔をした。サカズキはが何か言う前にぐいっとその顔を胸に押し付ける。もごもご、と何か訴えているのは当然無視だ。
「……大将殿と同じ顔でこうまで愛妻家な振る舞いをしているのを見ると、なんと言うか…一種の恐怖を感じるわ」
その周囲を憚らぬいちゃつきっぷりに堂々と突っ込みを入れることはできぬもの。それで、ぽつり、と呟くのは先ほど発言した女性海兵である。
真っ直ぐな黒髪、艶やかという言葉では表現できぬ、まるで水晶に夜を写したような色の髪の美しい女性だ。きりっとした顔立ちに目鼻筋が整いすぎている感はある。まるで作り物めいた完璧すぎる美しさだが、口を開いてやや困惑したような表情を見せれば人形ではなく、血の通った、どこか親しみやすい美女であると即座に認識を改められるというもの。若干低めの声が耳に心地よく、美声というものがあるのならまさにこれがそうであるという手本のような声だった。
その小さな呟きを聞き、彼女の隣に仁王立ちしている男性海兵、大将殿、と呼ばれた男はフン、と何を感じているのかわからぬような、仕草をするのみである。
こちらは天井が低く思えるほどの長身に逞しい体を濃い赤系のスーツで覆っている偉丈夫だ。室内であるのに海兵帽子を外さぬが不敬には思えずむしろなければ違和感がある、というほど馴染んだ姿。意思の強い太い眉毛を今は眉間の皺にそうように寄せて、腕を組み円陣のとサカズキを眺めている。簡単に言ってしまえば、この男の名もサカズキという。
さて、簡単に現在の事情を説明しよう。
新婚家庭で何の不自由不満もなく(軟禁状態だが当人は気にしていない)平穏に暮らしていた魔女、数時間前にちょっとした疑問を抱いたらしい。
色々あって海軍本部の大将サカズキことドS亭主、外道鬼畜容赦ない非道の男代表と夫婦関係になったのはいいのだけれど、自分ははたしてサカズキにとって良い妻といえるのだろうか。と、そんな素朴な疑問。
そんな、クザンあたりが聞いたら「何その献身的な思考!!!」と突っ込みを入れただろうが、生憎クザンはサカズキと本部で仕事中。
そういうわけで、の、本当くっだらなさ過ぎる「疑問」があれこれと頭の中でヒートアップしてきた。
最終的には「別の世界のサカズキの奥さん(候補)はどんな人なのかなぁ」とそういう、素朴というよりも、何だその発想は、とさすがは魔女、なんでもアリだとそれで片付けられるような、いや、無理だろうと思われることをぼんやりと考えていた。
それがまずかったらしい。
気付いたらの心に反応したリリスの日記が、当人の意思やらなにやらをさっぱり無視して、とサカズキを「異世界トリップ」させたのである。
そしてやってきたのがこの世界。
魔女やらなにやらはいないが、海軍本部やら海賊うんぬんかんぬんはある世界。サカズキがいて、しかしはいないが、その辺ははあっさり納得した。自分の世界が自分の夢であることはよくわかっている。それであるから、別の人の夢を見てみたい、とそういう発想ができるのだ。
……細かいことは言いっこなしでお願いしたい。
とにかくとサカズキは別の世界の海軍本部にひょっこり現れ、そこで数日過ごした、ということである。は目的どおりこの世界のサカズキの恋人であると交友を深め、そしてサカズキ同士もそれなりに互いに意気投合した、良い滞在であった。
しかしさすがに、三日以上大将が本部を空けているのもまずかろう、が必死にリリスの日記を駆使して元の世界に戻ろうとしている、というのが現在の状況だ。
ここで一点確認しておくと、この世界の「サカズキ」は今後「赤犬」と表記する。ドSバカッポー亭主の方は変わらず「サカズキ」と表記する。
こちらの世界の赤犬の恋人、海軍本部海兵であるは目の前で繰り広げられるバカッポーっぷりにさてどう対処したものかと美しい顔を若干引き攣らせつつ、とサカズキが離れた白薔薇の魔方陣をしげしげ、と眺めた。
「、得体の知れんもんに近づくな」
「なんだか過保護に拍車がかかってない?」
馴染みのない「魔法」はの目には興味深い。近づいてじっくり調査しようと腰をかがめると、その腕をひょいっと赤犬に取られた。以前からそういう素振りがなかったわけではないが、この三日間、向こうの世界のサカズキと交流を深めて何かあったのか、赤犬は妙に、自分に接触してくるようになっている気がする。首を傾げつつ見上げれば、赤犬が眼を細めのすっきりとした頤に手をかけてきた。
キスでもされるのか、とが身構えたその直後、魔方陣が白い光を放った。
晴れ時々、
魔女とかいろんなものが降る
(さぁ始まりますよ、非常識な世界が)
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