突然強い力に引き寄せられ勢い良く体が吹き飛んだのはほんの一瞬。即座にの体は、そんな非現実的な力より現実的な力によってしっかりと抱き止められた。誰のものかと考えるより先に体が理解している。やや体温の高い、しっかりと筋肉の付いた体がのほっそりし過ぎた体を抱き締めた。常日頃から守られる・守るよりは互いに隣を歩ける関係をと、そう話しているにも関わらず何か不測の事態に陥ったとき赤犬はを守ろうとするのだ。

(初々しい小娘じゃないのよ)

ぎゅっと、はサカズキのシャツを掴み、不愉快に思っているのかそれともこそばゆいのか自身で判断つきかねる奇妙な心持を感じた。そして眩しい光が収まり、どさ、ばしゃ、と、自分たちが落下する音を聞く。

も戦う女性だものねぇ…そりゃリリス好みだよ!!発動条件ぴったりだよ!!趣味で発動するのやめてってあれほど言ったじゃないか!!」

まず最初にの耳に入ったのはの声だ。異世界からやってきた魔女、という幼い少女は黙っていれば人形のように愛らしい。なぜこのようなあどけない幼女が過激行き過ぎ容赦ないドSの擬人化「大将赤犬」の伴侶なのだとは甚だ疑問だったが、この三日で理解した。「愛らしいが、口を開けばさすが赤犬の奥方と納得できる」ということである。

そのがなにやらぶつぶつと悪態をついている声で段々との意識もはっきりとしていく。突然光が爆発したようになって、そして床でも抜けたのか落下した。一体何が起きたのかわからぬ、という状態。しかし、先ほどから全身の力が入らない。なぜだ、と思えばすぐに答えはわかった。

「池の中…不覚だったわ」

腕を動かそうとしても体が鉛のようで動かない。とやはり向こうでもサカズキがを庇ったのか下敷きになっている。は半身が出た状態で「って、サカズキー!!!しっかり!!」と慌てふためいていた。それを受けてサカズキが「騒ぐな、死にゃァせん」と安心させるためにかなんでもないように装っている。は能力者ではないから大丈夫なのだろう。小さな体で必死にサカズキを水から引き上げようとしている姿はけなげだが、はそれどころではない。

も能力者だ。水の中に体を浸かれば力が出ない。しかし、不覚、と顔を顰めているのは、落ちてしまったこと、ではない。

「っ…大将どの…!!!この状況で何をしているのかしら……!!!」

中々水位のある池に落ち、足は泥の中に沈んでいる。水が綺麗なのは幸いだが、布が容赦なく水を吸いあまり気分のいいものではない。それであるのに、ついっと、先ほどからの服の中をもぞもぞと赤犬の指が侵入してきていた。水の中で体に力は入らぬが感覚は鋭くなっている。その中を濡れていつもと感触の違う、手袋を嵌めた手がゆっくりと動き、はぶるっと、身を震わせた。

「危険はねェと判断した。目の前に惚れた女の濡れ姿があるっちゅうに手を出さんバカがどこにおる」
「真後ろにあなたと同じ顔をしたひとが何もせずにいるわよ」

堂々と言い切る赤犬には美しい顔を若干引き攣らせた。自分であまり宜しくない表情だと思うが、赤犬はが「不快」という顔をするとこの上なく上機嫌になる。今も満足そうに眼を細め、水の中で器用に上半身を起こし、をその膝の上に乗せ、水で濡れた髪を掴んだ。

に言われるまま自分の背後に一度視線を投げれば、確かに赤犬と同じ顔、別の世界の海軍大将赤犬サカズキが水から上半身を起こし、力が入らぬのかふらつき、例の幼女に介抱されながら池から脱出している。その甲斐甲斐しい様子、脳内で例の幼女の作業をに換え、確かにあぁいうのも悪くないと思わぬわけではない。が、それは別の機会で試せばいいとそういう思考。

さっさと興味を失った赤犬は再びに視線を戻し、泥の付いた自分の指での肩を汚す。真っ白い肌を自然の汚れで侵すというのは中々面白い。ここは手入れの行き届いた蓮池のようだ。の肌の刺青とはまた違うが、真っ白い蓮がにはよく似合っている。眼を細め、そのうちの一つを手にとっての方へ寄せれば、ぽつり、と外野の声が響く。

「っていうか、なんであっちのサカズキは水の中であんなに自由に動けてるの?おかしくない?」

水から上がったサカズキに付き添いつつ、不思議そうな顔でが小首を傾げていた。というか、何だか楽しんでないかと、そうは突っ込みを入れたい。

普通水の中にあれだけ浸かれば能力者は身動きが取れないはずだ。サカズキとてそうで、を見る限り別世界の人間だからといって免除されているわけでもなさそうである。それなのに向こうの赤犬さんは、それはもう見事に水の中でノリノリで活動していないか。

顔を引き攣らせつつ、はとりあえずこの状況はまずいと判断し、池の二人に向かって声をかけてみる。

「ねぇ、野外での情交はぼくもあんまりオススメしたくないし、ここ一応ぼくとサカズキのおうちだからそういうのは遠慮して欲しいんだけど」

はっきりとした物言いをすれば、池の中の赤犬がやや驚いた顔をする。なるほど、この三日間でが別世界のサカズキの細君であるという説明を聞き理解はした。それでも見かけの幼女の姿。こういう幼い子があまり羞恥を面に出さず直接的な物言いをしている、というのが(のことを抜かせば)真面目で堅物な赤犬どの、聊か面食らう、というのだろう。

大将赤犬に「子供がそんなことを言うな」という顔をされるとは中々新鮮ではないか。はころころと喉を鳴らして笑ってから、ぐったりしているを案じる。

、大丈夫?」
「なんとか。力が抜け切ったのは別の理由の気もするけれど」
「まぁ、確かに」

大変だねぇ、と、完全人事であるのでは受け流した。

すると、池の中の赤犬がを抱き抱え上がってくる。止めなかったらどこまで悪戯したのだろうかとそんなことをぼんやり思った。異世界の赤犬閣下。こちらのサカズキのように幼女趣味(当人否定)ではないようだが、性癖というかオープンエロなところはそっくりだった。あれか?真面目で禁欲的な赤犬というのは存在しないのだろうか。

まぁ、それはさておいて。とにかく、がリリスに気に入られたお陰でとサカズキは無事元の世界に戻ってくることができたようだ。ぐるり、と気を取り直して周囲を見渡せば、とサカズキが暮らすマリンフォードの一角にある自宅の庭。毎度毎度凍らせられたり火山弾が突っ込んだりとロクな目にあってないの庭だが、今回は池に規格外の人間が二人突っ込み、折角が夏に向けて整えていた蓮の池が台無しになった。

一応異世界トリップなんていう荒業をしたのだ。本来なら地面が抉れ燃え尽きてもおかしくない。夏の魔女の庭の池であるから何事もなく受け止めきれたのだ。仕方ないと諦め、は無残になった池をちらり、と眺めてため息を吐く。

「この埋め合わせはする」

そのため息を落ち込んでいると取ったか、サカズキがぽん、との頭に手を置いた。は顔をあげにこり、と笑ってから首を降る。

「いいよ、サカズキが怪我しなくてよかったって思ってるし。落下のとき庇ってくれて嬉しかったし」
「……」
「なぁに?」
「おどれはこれで押し倒されんと思うちょるんか…?」
「なんで!!!?」

真剣な顔をして言われ、は反射的に一歩後ろに下がりそうになったが、こちらが拒絶反応など見せればどうなるか手に取るように判っている。の二の舞はご免だ!とばかりに気をしっかりと持つと慌てて話題を変えた。

「そうそう!にそっちの大将閣下!濡れたし汚れたからお風呂入らないとね!!」

自分も泥に沈んで気分が悪い。池の水は魚が住み着けぬほどに澄んでいるが、蓮を育てるために下には泥を敷いていた。は素早くお風呂を沸かす準備をしようと思いついたが、しかしそこでハタっと、動きを止める。

「……」

一応、と赤犬閣下はお客人扱いになるだろう。異世界では三日もお世話になった。サカズキとて客人よりもを優先、というようなことは(多分)言わない(ハズ)だ。

しかし、今この状態で「先に入っておいで〜」なんて言ったらどうなる。

(確実に…!!確実にあっちの赤犬閣下がとお風呂場でことを始める…!!!!)

その上、できれば考えたくはないが、水に濡れて体温の冷えた自分もサカズキと二人っきりの状況になれば、確実に喰われる。きっと大義名分は「妻に風邪をひかせるわけにゃァいかねェ」とかそういう理由に違いない。

そこまで予測した瞬間、は赤犬に抱きかかえられていると目が合った。そしてお互い、無言で頷きあう。

「サカズキ…!ぼく、くんと先にお風呂入ってくるね…!!」
「自分で歩けるから平気よ。サカズキ、先にお湯を頂くわね。わたしと一緒ならも先に入れるし。小さな子がいつまでも濡れたままはかわいそうだわ」

もちろん、いらん所まで賢すぎる大将赤犬サカズキ殿2人。これがの「盛るなこんなところで…!」という無言の訴えであることは即座に見抜いている。しかし、素早くが動いてと手を繋ぎ、が率先して風呂場まで案内し始めれば赤犬2人は動くことができなくなった。

理由は単純。
自分の相手の入浴シーンを、たとえもう一人の自分だろうが他の男の眼に入れるなど言語道断、という、誠にもって心の狭い理由からだ。

ここで赤犬が動けば当然サカズキも動く。脱衣所で脱ぎにかかったの姿をサカズキも見ることになる。そしてサカズキからすれば、自分だけが動かねばの裸体を赤犬に見せることになる、と、そういう、本当お前ら心狭すぎるよ!!!と、いう、くっだらない呪縛だった。いや、くだらないが強力である。

ちなみにこれ、うっかり赤犬同士が納得しあって「じゃあ4Pで」というとんでも展開に発展する恐れもあるにはあるが、しっとりとした黒髪美女を選ぶ赤犬と、あどけない幼女に手を出しているサカズキではそもそも好みが違う。サカズキの方はさておいても、赤犬は自分と同じ顔の男が幼女に手を出している光景なんぞ見たくないに違いないので、も最悪の展開はないと踏んでいる。

そうしてスタコラサッサ、と風呂場に逃げた、残された男性二人はとりあえず水分は蒸発させられるとしても泥は不快だ、ということで庭のホースで汚れを落とすことにしたのだった。(というか、正直、相手と入れないのなら泥の汚れを落とすなんぞホースの勢いで十分だとさえ思っているらしかった)




+++




風呂から上がりそのままの衣裳部屋に直行させられたは、困惑した顔で椅子に腰掛けている。

目の前に広がるのは色取り取りの、それこそタイプも様々な服の数々。一生分の服を全て集めたのかと言うほどの量が目の前で次々に披露されていくのは目に楽しいが、自分が着ることになるもの、ともなれば、気力が滅入った。

シャワーで泥と汗を丹念に洗い流した。服はそのまま洗濯行きになり、大将二人に気付かれぬようにそっと二人は二階に上がって新しく着るものを探していた。

は自分の着る分はさっさと決めてしまい、真っ白なワンピース姿で落ち着いている。白一色、裾と袖口に小さな薔薇の刺繍がされているのが愛らしい衣装はによく似合っている。

問題はだった。女性にしてはやや背の高い。小さなの服とはサイズが違う。何か大きめのシャツとスカートでもあればサイズはあまり気にならないだろうとそう提案したが、が連れて来た部屋にはのサイズに丁度いいだろう服が大量にあった。

なぜそんなに大量にのサイズ以外の服があるのだ、と聞けばはあっさりと「トカゲの置き土産と、ぼくが昔着てたの」と、にはわからぬことを答えた。

「んー、やっぱりさー、は紫とか臙脂がいいんじゃないかって思うんだよねぇ。ロングスカートもいいし、でもイブニングもいいよねぇ」

きゃっきゃ、とはあれこれ箱やら葛やらをひっくり返してはに寄越してくる。服だけではなく靴や小さな宝石類までセットになっているのだからあっという間にの周りに山が出来る。

…!もう十分よ…!借りる身で贅沢なことはいえないけど、簡単なシャツにズボンでいいの」
「え、なんで?」

やっとタイミングをみつけてが待ったをかければ、カントリー風のロングスカートに手をかけていたがきょとん、と振り返る。その目の輝きはいつのまにか「替えの服を探す」から「を着せ替えて遊ぶ」に変わっていたことを明らかにしていた。

「なんでって…お前さんの服は可愛いけど、わたしは動きやすい服のほうがいいのよ」
「そんなのぼくがつまらないしー」

誰かこの子に「他人の意見を考慮しましょう」という基本を教えてあげられる人はいなかったのだろうか。はあまりにも堂々と開き直ってのたまわれ一瞬言葉に詰まった。は知らぬことだが、その「基本」は数年前にドレークが必死に教え込もうとして挫折している。まぁ、それはさておいて。

「つまるつまらないということでは、」
「でもやっぱり黒髪に色白だしねぇ、今日は夏日だし浴衣が王道だと思うんだ」

人の話を聞く気はないのか。いや、そうとに問えば即座に「みんながぼくの話をお聞きよ」とそれはもういい笑顔でのたまうに違いないと、そのくらいの判断はつくほどにという少女を理解していた。ため息を一つ吐き、軽く手を上げる。

「わかったわ。浴衣ならわたしも着れるし、貸してくれる?」
「違うしー、ぼくが着付けするに決まってるしー」

妥協したことに対しての機嫌のよさに拍車がかかった。妙に弾む声で、はこれまでとは変わった作りの葛から真っ白い浴衣を取り出した。




+++




自分と同じ顔の男を目の当たりにして、つくづくサカズキはの非常識さを痛感した。

異世界越えなど、トカゲの例を見てはいるが「ありえん」と一蹴にしたいもの。それをあっさりと自分が体感させられたのは、いろいろ不満もある。しかし、最初の異世界越えが一人で行われずにいて安心していたのも事実だ。運よく悪意のない世界だったが、しかしを一人で別の世界に落とすなど許すつもりはない。もし万一危険な世界に一人きりであったら、あれが怯え泣いていても自分は感知することもできない。

そんな展開になればサカズキは今後どうを監禁するか真剣に検討しなければならなくなる。

「同じ顔ちゅうんも中々不気味じゃのう」

二人分の着替えを探しながらサカズキはぽつり、と呟いた。すると体を拭いていた赤犬がこちらに顔を向けてくる。

全く同じ顔だ。違いといえば、首から覗く刺青と言ったところか。サカズキはと揃いの薔薇の戒めだが、もう一人の自分の花は桜のようだ。しかし首元を覆えばもう区別はつかぬ。も即座に違いがわかるらしいが、サカズキは自分がこの男の隣に並んでいて一体何人が「どちらがどちら」と判断できるものだろうと思う。

が二人っちゅうなら歓迎するが、貴様のところは幼女か」
「あれでわしらの倍以上生きちょる。見かけも変えられるが、わしは馴染んだあれのままでえぇわ」

異世界越え、自分がもう一人という状況でサカズキも一瞬ちらりと考えたのは、もう一人のがいるのではないか、という展開だ。それなら歓迎する。寧ろそれこそ両手に花状態で連れ帰ると、そういう開き直りをしたかった。

顔も同じなら性格も同じなのだろう。目の前の男もその考えは同様のようで「期待はずれだ」とあっさり言ってきた。サカズキはその答えに別に苛立ちはしない。の良いところがわかるのは自分だけでいいと常々思っている。もう一人の自分だろうがこれ以上を思う男を増やすなど冗談ではない。

「おどれのところは万人にわかる良い女じゃのう。気苦労が絶えんか」

サカズキはの姿を思い出し目を細める。美しい女性だ。はっきりとした黒髪に白い肌。意思の強そうな眉はサカズキも好むところ。瞳の輝きは、どちらかといえばサカズキはの青い目のほうが好みだが、公平に見て印象に残る「美しい」輝きには違いない。

見掛けのみの美しさならサカズキは魔女戦で見慣れてきたが、の美しさはその芯にあるように思われる。海兵という立場についている人間を己の相手に選ぶという向こうの自分の考えは理解できぬが、海兵という身分、赤犬の恋人という立場にあってしっかりと独自を保っているだろうの姿は、サカズキには好ましく思えた。

しかし、あれだけ見目が良いのならさぞ連れ歩いて苦労があろうと、サカズキは揶揄った。だが赤犬は首を降る。

はそう簡単な女子じゃァねェぜ。男の気は引くが声をかける人間は稀じゃけ」
「ほう?」
「あれで中々にややこしい。時々イカレちょるんじゃァねェかと思うこともある」

もう一人の自分の言葉に、サカズキはやはり自分が先ほど思ったのはあくまで客観的なの人物像であると理解した。人の内面など良く知らぬ限りはわからぬもの。特にサカズキは世界が違う。もう一人の自分がを「ただの幼女」と侮っているように、こちらもを「ただの女海兵」とそう思っているところが少なからずある。

「正気の人間がわしらのような人間の傍らに立てるものか」

自分の女を「イカレている」と称する赤犬を一瞥し、サカズキは棚から浴衣を二着取り出して一つを渡した。

ともう一人の自分を元の世界に戻すことを考えなければならないにせよ、今日はもう何もできぬだろう。が力を使うなら最低三日の休息は必要だ。このまま夕食に移るだろうと判断してスーツではなく部屋着にしている浴衣を差し出した。の手製だ。雨の日は特にすることがないからとは針仕事に精を出す。サカズキのスーツ以外ほとんどががあつらえたもの。一つ一つを丁寧に扱っているもので、できれば他の男になんぞ着せたくはないが、今回は仕方ないと妥協する。

着方は判るかと目で聞けば「当然だ」と返される。そのまま慣れた手つきで着替えていくもので、サカズキも着替え始める。

すると、先ほどのサカズキの言葉を流す気はないのか赤犬が眉を跳ねさせ、こちらに顔を向けた。

「何が言いたい?」
「他人の事情に口を挟む気はねェが、同じ人間じゃァいう前提で聞いて構わんか」

向こうの世界に行って、自分の隣にいるのがではなく海兵の女性であったと知ったとき、サカズキは妙な羨望を覚えたものだ。

別の世界の自分の隣にいたのはただの女性だ。いろいろ事情もあり今の位置にいるのだろうと、それはなんとなくわかるが、しかし人間の女性だ。

千年もの長い時間を行き、明日はどうなるか知れぬ気まぐれな心を持つ女でもない。サカズキが僅かでも目を離した隙にあっさり消えてしまうような、そういう危うさのないような、しっかりと、自分の意思で「赤犬の隣にいる」というのがわかる女性だった。

サカズキにはそれが信じられぬことのように思えた。なぜ「海軍大将」の傍に、ただの人間がいるのだ。

「わしらのような人間は、どういう人生が待っちょるか自覚しちょるじゃろう。己が何をするのか、どんなことをして、どんなものを残すのか、はっきりとわかっちょるじゃろう」

サカズキは、自分が血に濡れている、などと酔ったことを思いはしない。だが、どう贔屓目に見ても安眠できる道を歩いているわけではないとは思っている。

それを覚悟した。こうとして生きると決めたときから、サカズキは自分が「こちら側」であるとはっきりと境界線を決め、その「向こう側」はまるで別物であると覚悟をした。と出会う前に、心を動かされた女性がいなかったわけでもない。だが、そういう女性と自分が「幸福」になるなど、ありえないと切り捨ててきた。すべきことのために、自分で決めた道のために、そういう人並みの幸福は捨ててきた。

自分の隣に立つことがどういうことか、それを判っている。心を許すほど馴染んだ者ならなお更、向こう側に置いて行くのではないか。

「なぜ、を傍に置く。貴様の覚悟はその程度のものか」
「八つ当たりはよくないよね、サカズキ」

コトン、と小さな音がした。会話に熱中するあまり気付かなかった、というよりは故意に気配を落としていたらしい、が部屋の入り口に立っていた。は青い目を若干細め、首を傾けている。サカズキは軽く舌打ちをして乾いたタオルを手に、の方へ近づく。

「おどれはしゃんと髪を乾かせっちゅうんがわからんか、バカタレ」

ぐいっと、聊か乱暴にを捕まえその頭をわしゃわしゃとタオルで包む。反論しようとが何か言っているがタオルと音にかき消されて聞こえない。

「白地の浴衣か。珍しいのう」

そういう過保護なサカズキと手間のかかるはさておいて、降りてきたを向かえ赤犬は眼を細めた。幼女が持っているには聊か相応しくないように思えるが、中々見事な浴衣である。白地に黒一色の水練が染め抜かれた、華やかさはないが粋なこしらえの浴衣だ。のほっそりとした体には単色が似合うと赤犬は常々思っている。帯留めは燻し銀に薄い黄銅。墨色の帯によく合っている。帯の結び方が赤犬やが知らぬ形であることから、幼女の独特のものであるとわかる。他人が着せたことは気に入らないものの、に似合う格好をさせたことで赤犬の中で幼女の評価が上がった。

それに普段下ろしているか、あるいは無遠慮に一つに結わかれただけの黒髪が簪や細工を使って丁寧に結い上げられ、白いうなじが明らかになっているのが好ましい。その姿をじっくりと眺め、赤犬はの腕を掴んだ。

「よう似合っちょる」
「……ありがとう」
「?どうした」

褒めれば顔でも赤くするかと思いきや、の顔色が悪い。幼女が何か言ったと考えられないこともないが、そうそう面に出すでもない。どうしたのだと顔を除きこむと、若干緊張した顔のままが低く呟いた。

「……この浴衣一枚で島が買えるって……汚せないわ…絶対」
「装飾全部入れると国家予算ー。でも別にいいのにー。ぼく着れないし、いらないし」

やけに深刻な顔をしての告白、赤犬とサカズキは一瞬停止し、その隙にがひょっこりとタオルの中から脱出して間延びした声を上げた。

「わしも初めて見たが、誰の貢物じゃァ」

の装いを眺めて感心したように眼を細めてから、サカズキはむんずっと、の首根っこを掴んで吊り上げる。

「わしに断りなくおどれに貢ぐような命知らずがまだおったか」
「違うよ。これ人間になりたいって鶴の子が言ったから代金変わりに貰ったの」
、今すぐそれを脱げ」
「貴様わしに喧嘩売っちょるんか」

のあっさりとした回答にサカズキは即座にに命じた、が、それは赤犬によって妙なにらみ合いに発展する。

別にサカズキはの裸体が見たくてそんなことを言ったわけではない。の言葉通りだとすれば、その着物はお得意の「御伽噺」の産物だろう。そういうものをただの人間が身に着けていていい訳がないとそういう心で言っている。

睨み合うサカズキと赤犬は放置して、は高価な着物に身動きを取れなくなっているに顔を向けた。

「だってさ、大将閣下はともかくとしても、はこの世界にいないのが当たりまえなんだし、鶴の恩返しの衣装でも着てないとすぐにバラバラになっちゃうよ?」
「さり気に重大発言をかますわね、お前さんは」

バラバラー、とがかわいらしい声で言うが、実際のところはスプラッターということだ。高価な着物に色々遠慮の心があったが、なるほどこれは鎧代わりか。の言葉を聞き、サカズキと赤犬は一応お互いの牽制を止めた。

仲がいいのか悪いのか判らぬ二人には息を吐く。しかし、そうして落ち着いてみて改めて、は赤犬の格好を意識した。臙脂に白い炎の刺繍が小さくあしらわれた浴衣姿。盛り上がった胸板がはんなりと覗く姿はどう見ても色気がありすぎる。つい手を伸ばしたくなるのは何も自分がいかがわしいことをしたいとかそういうのではなく、誘う色香が強すぎるゆえであるとは言いたい。

「サカズキはやっぱり浴衣似合うよねぇ。今度写真撮っていい?」

しかし、正直に褒めることができぬのは性格ゆえか、と、そんな葛藤をしていると、の背後でが声を弾ませていた。








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