「こちらの赤犬どのも私がお嫌いですか」
夕餉を終え、居候になるのだからとは片付けを手伝った。料理をが担当したとき、食器を洗うのはサカズキの仕事になる。大将が台所に立って皿洗いというのは中々珍しいのではないかと、並んで皿を受け渡しつつはそんなことを頭の隅で思った。
と赤犬はといえば、赤犬とが消えた世界に一応の連絡を入れる手段はないかと、地下の書庫を漁っている。手紙くらいなら送れるかもしれないとが言っていた。こちらの世界のとサカズキなら何か奇妙なことがおきても「まぁ、またが何かしたんだろう」の一言で片付くらしいが、生憎と赤犬の世界はそうもいかぬ。
「わしもというのはなんじゃい」
並んで皿を洗いながらの話題には相応しくないだろうが、サカズキは故意にが自分と二人きりになったことを悟っていた。先ほどが止めに入った会話をも聞いていたのだろう。何か自分に言いたいことがあると、そう気付いてサカズキはを赤犬と行かせた。
「サカズキも、当初は私のことを嫌っていたのよ」
懐かしいことを思い出すように、が眼を細める。自然口調が和らいだのはその話を思い出したからだろうが、あまり、微笑んで言うような内容でもなかろう。サカズキはどういうつもりかと判じかね、の言葉を待った。カチャカチャと白一色のみの食器が泡塗れになったシンクの中で小さな音を立てる。サカズキとの家にある食器は白か透明のみだ。
当初は、とが区切ったことで、サカズキはこの二人にも何かしらのことがあったのだろうと改めて感じる。己とのように殺し合った、ということもあろう。それを思いながら、「も」といわれたことに答えぬのに、その答えをせかさぬに気付く。
「同じだというあなただから聞くけど、大将サカズキ閣下、あなたのような人が誰かを愛するようなことってありえるの?」
どこから話を聞いていたのだ、とサカズキは舌打ちした。覚えのある言い回しに顔を顰め、息を吐く。
「それがわかっちょるなら、なぜおどれはあの男の傍におる」
「わからないわ。えぇ、そうね、私、時々、わからなくなるけど、でも、ハッキリしている事もあるの」
にこりと、が笑う。笑うと雨のような女だとサカズキは思った。笑うような女にはあまり思えない。初対面の人間には頑なに心を閉ざすような、そんな性格に思えるが、しかし自分の顔はこの女にとってはそれほど他人というわけでもないのだろうとそれを思い出す。
サカズキはここでの言葉を区切るべきだと、そんなことを思った。自分が先ほど赤犬に対して口を開いたのは、もう一人の自分であるからだ。この目の前の女は己ではないし、またでもない。まるで違う、自分には何の関係もない女、それに己の本心を、あるいは相手の本心を曝す、その理由がない。しかし、サカズキがどちらか、と判断するまえに、が再び口を開いた。
「私はきっと、サカズキがいなければ死んでしまう。息も出来なくなって目も見えない。だってそうでしょう。私の目はサカズキを見るためにあるんだし、声はサカズキを呼ぶためにあるの。でもそういうのは重すぎるし、しつこい女は願い下げ。だから、きっと私はサカズキが欲しいのよ。自分の物になったら遠慮なんてしなくていいでしょう?」
先ほど赤犬が、あの女はイカレているのかもしれないと、そう言っていた言葉を思い出す。なるほど愛憎・狂気という物がたしかにひっそりとこの女の腹の内を周っている様な、そんな錯覚をサカズキとて感じる。しかし「錯覚」だとサカズキは即座に切り捨てた。そう思わせている、のではないかという言動。こういう物言いを好む人物を知っている。それに比べればこの女はどこまでも正気であろう。その告白を聞き、サカズキはさめざめと眼を細め、鼻を鳴らした。
「白々しい」
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人工石の光が煌々とする地下の書斎。は梯子に腰掛けて覚えのある本をいくつか膝に乗せ、ぱらぱらと捲ってみる。確か、手紙を届ける程度ならそう大掛かりな仕掛けもなくできる、と、そんな話を随分昔に聞いた覚えがある。しかし、その記憶は軽く900年以上前なのだからアテにはならぬし、第一、あまりマメではなかった自分が書物に残しているだろうか。
「なぜ、おどれのような幼女をあの男は細君に迎えた?」
ひょいっと、が見当違いの本をその辺に放り投げると、一応崩れぬようにと梯子を支えてくれていた赤犬が呟く。三日前から時折、そしてこちらに着てからはずっと、赤犬がこちらを凝視していることはも気付いていた。がいなければ「熱愛視線?」などと冗談めかして言っただろうが、生憎そういう類ではないのはわかっている。
は視力の低下を実感させられる己の丸眼鏡を軽く持ち上げ、眼を細める。
「本人にお聞きよ」
「おどれの答えを聞いちょるんじゃァ」
この男は昔の、まだを罪人と扱ったころのサカズキと同じ言動。にも関わらずはあの頃を思い出しはしなかった。顔は同じだ。それに声も、何もかもが一緒。しかし、まるで違うのだ、ということが時を越すごとにはっきりとしてくる。
そういえば、トカゲも「この世界の赤旗と自分の嫁はあまりにも違いすぎて手を出す気にならない」と、そう言っていた。
膝上の本を閉じ、次の本を探すことを諦め、は梯子に乗っていても自分が見上げなければならない赤犬をじぃっと見つめる。その意思の強い目は同じ。しかし、まるで同じ顔でもはこの男を、どちらかといえば嫌っているのだ。
「ぼくとサカズキの結果を聞いても、それはを救う手段にはならないと思うよ」
は、もうはっきりと、自分とサカズキの現在の歪な関係を自覚していた。自分たちは必死に必死に御伽噺の「二人はいつまでも幸せに」を、必死に必死に、守り続けようとしている。少しでも綻びがありそうなら、全力でそれを繕う。はもう何も「変わらぬ」ようにこの家に閉じこもり、サカズキはを世界から切り離し自分の手の中だけに収めようする。そうすることでしか、の魔女という立場とサカズキの大将という立場は隣り合うことは出来ない。
サカズキは、恐れているのだ。また再び、大将として魔女を焼き尽くさねばならなくなる日が来ることを、毎朝毎晩、恐れている。
(ぼくは髪の毛の一本までもサカズキのものにして欲しいけど、そんなの無理だからね)
そんな日がこない、とは誰も思っていない。だから、サカズキはこの男と、そしてが羨ましいのだろうと、そうは思った。サカズキは、自分の隣にいられるのは魔女のようなでしかありえないと思っている。魔女だから傍にいる、のではなくてが魔女だから傍にいられたと、そういうややこしいことだが、それはいい。そういう、わけで何もかもから孤立した、それでも真っ直ぐに生きてきたサカズキ。何もかもを殺して焼き尽くしてきたあの人は、「がただの人間だったら」と、そう思わずにはいられないのだろう。
しかし、もしがただの人間なら、20年も傍に居続ける事はできず、また、サカズキの正義の影になることもできなかった。それをわかっている。サカズキは判っていて、その「矛盾」をこれまで考えぬようにしてきた。だが、別の世界の自分の隣に「ただの人間」がいる、その姿を見てしまったのだ。
「あのさァ、大将閣下」
ひょいっとは梯子から飛び降りる。サカズキであればここで抱きとめてくれるが、この男にそれは期待していない。じぃん、と落下で足の裏が傷む。はそのまま顔を上げ、眼細めて首を傾げる。
「が自分に殺されたいって判ってるなら、素直に愛してるって認めた方が楽だとは思うよ」
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パチパチと花火が燃える。あまり煙を吸うようなら咳をするだろうと、そう案じた目でを眺め、サカズキは小さな盃を手に取った。機嫌がよければ、は酒の用意をする折に盃に何かしらの花びらを乗せてくる。今宵は何もない。それでも庭でと花火をしている様子は楽しげで、サカズキは目を伏せ、盃を傾ける。も「気分〜」と浴衣に着替えていた。
和装の幼女と若い女が二人で花火に興じている姿は華があるが、その実どこか二人には仄暗いものがある。そういう女が結局のところ自分は好みなのだろうかと改めて考え、サカズキは自分と同じように無言で飲んでいる赤犬に膝を向ける。
「あれに何ぞ言われたか」
「どういう躾をしちょる、とは思うたがな。甘やかしすぎちゃァいねェか」
「あれにはあのくらいが丁度いい」
言い切れば赤犬が鼻を鳴らした。こういう仕草は己と同じ。サカズキは赤犬の盃に酒を注ぎ、その次に自分の盃を満たした。に酒のよしあしはわからぬので、今日の酒はが見立てたらしい。冷の、さっぱりとした、しかし喉に軽く焼け付くようなものが丁度いい。酒を嗜む伴侶というのも良いものだ、とそんなことを考えていると、赤犬が板の上に盃を置いた。
「おどれは、あの幼女を手にかけたことがあるのか」
「あれから聞いたか」
「いや、違う。そういう気がした。それで結果、おどれがどうなるのかを知っているから、わしはを手にかけるなと言われた」
ふん、と、サカズキは先ほど赤犬がしたように鼻を鳴らす。
「お互い厄介な女子に惚れたのう」
別段サカズキはに自殺願望がある、とは思っていない。あるのは、強すぎる愛情のように思える。いや、それを愛と呼ぶべきなのか、それはサカズキには判断がつかない。しかし、確実にわかるのは、は赤犬の何もかもを欲し、しかし手に入れられぬことなどわかっている、ということ。そして、自分自身の何もかもを与えたいと切望し、できないことを、知っている。
だからこそ、最終的にほんのりと、(当人が自覚しているのか、そこまでは知らないが)が願うのは、赤犬の消えぬ傷になるということだろう。
サカズキは、そして赤犬も、これまで自分が殺めてきた「正しくない」と判断して殺した命を思い出したことはない。「そういうことがあった」という記憶はある。だが、その命を奪ったことでサカズキの何かに影響を与えたことはない。
「たとえばおどれが、「正しくない」とを判断して手にかける。その死をおどれの中に刻み込み思い出すたびに心臓から血が流れるような、そんな振る舞いをがして、おどれがそれを受け入れておりゃァ、本懐っちゅうんじゃろうな」
手にかけることは正しかったという結果。しかし、毎朝毎晩苛まれる。本当にこれしか道がなかったのかと、これまで歩いてきた道を、ほんの僅かでも揺らすことが出来れば、は本望なのだろう。真っ直ぐすぎる赤犬は、を愛しはせぬと、そうは決めている。そういう人ではないと、そう決めて、だからこそ、愛し、だからこそ、憎んでいるのではないか。そんな予感がサカズキにはあった。
を殺し、赤犬がほんの一瞬でもその振る舞いを「後悔」した瞬間、は勝利するのだろう。何に対しての勝利か。赤犬が一生を捧げた「正義」に対して、最大の報復であろう。
嫉妬深いにも程があると、サカズキは喉の奥で引っかいたような笑い声を立てる。
それほど激情家な女に惚れられるのは男冥利に尽きるというものか。サカズキは時折が己に対して関心がないのではないかと思うことがある。ほどしたたかになればいいものを、とそんなことを戯れに思った。
「貴様はどうなった」
「わしとあれの結果を聞いても、おどれらが同じとは限らんじゃろ」
今の自分との状況の異常さをサカズキはよくわかっていた。息を一つ吐き、サカズキは庭のに顔を向ける。
「あれに言われたことがある。何もかもを燃やし尽くして、何もかもを正して、奪って、失くして、わしが己の正義のために生きて、戦って、正義のために何もかもを背負って、一体わしは何を手に入れるのかと」
サカズキは、自分が平和な世界を作りたくて正義を駆使しているのではないとわかっている。ただ、悪を許せないだけだ。平和な世界は、作れる別の人間が作ればいい。自分に出来るのはただ、正しくないものを燃やし尽くすだけ。その為の圧倒的な正義があればいい。そういう覚悟だった。
赤犬はサカズキと同じように、を見ている。とは線香花火を持ち何か話して声を上げ笑っている。そういう光景は滅多にない。ほんのりと線香花火の明りが二人の白い顔を照らし、その様からサカズキは目を背けて、再び盃の中の酒を見つめた。
「海軍本部大将赤犬、おどれはその正義の傍らにがいると思うか」
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くひょん、とは妙な音のクシャミをした。その拍子に折角もっていた線香花火が落下する。まだまだいけそうだったのに、それはもう見事にぼどっ、と。
「〜〜〜!!!またぼくの負け!!」
「はこういうのは弱いのね。運がないというか」
「そうだね…!ぼくはババヌキでもたいてい負ける!ぼくがババァだってか!!?」
「そうは言ってないわ」
本日の線香花火競争は三度目の敗北。風が吹いてもちっとも揺れないと違い、はきょろきょろとあたりを見渡すし、落ち着きがない。それが敗因なのだが、当人に自覚がないのだから仕方ない。
とは遊び終えた花火をバケツの水の中に入れて、縁側に腰掛けて月見酒を洒落込んでいる赤犬とサカズキに顔を向けた。
「何か怖い顔で話してるねーって思ってたんだけど、今、妙に二人とも機嫌よさそうだねぇ」
うん?とは首を傾げる。
書斎で赤犬にハッパをかけたので、それについての話をしているのだろうと踏んでいたが、それにしては、今現在二人は妙に、楽しげだ。サカズキが誰かと楽しそうに談笑するという光景は珍しい。思わず興味津々で立ち上がってみれば、がぐいっと、その腕を掴んだ。
「??なぁに」
「……行かないほうがいい気がするのよ。勘だけど」
やけに気難しい顔をするには首を傾げる。しかし、女の勘はよく当たる、とおつるちゃんも言っているではないか。無碍にするのも命知らずというもので、は気になるけれど、と葛藤してみる。
「くん唇の動き読むとか出来ないの?」
「暗いから難しいわ」
できるのか、とは突っ込みをいれた。まぁ、海兵は何かいろいろできる、とは妙な偏見も持っている。(多分それはドレークが育児家事、さらには護衛までこなしていたからだ)
しかしどうも気になる。は少し迷った挙句、サカズキには申し訳ないと思いつつも使った花火の残骸で簡単に遠耳の詩篇を作り会話を探ってみることにした。
「はなんでもありね」
「それは突っ込みを入れたら負けなんだよ」
尤も過ぎるの言葉は当然スルーされる。そうしてあれよと完成し、は機嫌よく耳を澄ませ、そして即座に詩篇を地面に叩き付けた。
「…!今すぐぼくの姉さんのところに逃げよう…!!!!」
の動作にがぎょっとしている隙に、は勢い良く手を掴み、必死に訴えかける。
「…何が聞こえたの?」
あまりの必死さには、またあの二人が妙な相談でもしていたのかと頭を抱えたくなった。
真面目な話をしているときは本当に、大将の名に相応しい二人だが、たちの世界で過ごした三日間にもあったこと。あの二人、酒が入ってほろ酔いになると、それはもうこちらへの配慮のない夜の会話に発展する。
確か…前回はがサカズキの膝の上で寝ているというのに「下着の色は白がいい」と主張し始め、「この人は何を突然」とが言葉をなくしていると赤犬が「白い肌に黒が良いに決まっちょる」と反論した。これが大将同士の会話か…とそういう突っ込みは、風に言えば「したら負け」なのだろうか。
それにしても今回はどんな会話に、とは少々気になってが地面に叩きつけられた花火の残骸を耳に近づけてみる。
『体格に差がありすぎる、不可能じゃねェが正常位じゃと顔が見えんじゃろう。おどれとはどうしちょる』
『押し倒して攻めるんは困らんが、挿れるとなると騎乗か茶臼しかねェのう。乱れる顔が見えんっちゅうんは言語道断じゃけェ、前に後ろ向きで試したことはあるが、』
べしっ。とも素直に地面に叩き付けた。
どんな相談してるんだあの二人は…!!!
おかしくないか?さっきまで真面目な話をしている雰囲気じゃなかったのか、とそうは今すぐ怒鳴りつけてやりたくなった。(動揺中)
は必死に「デッキブラシで逃げる…いや、でもすぐに追いつかれるし…海列車…?夜はもう出てないし…」と逃亡計画を呟いていた。
異世界に来ているから夜の営み(そういう生易しいものでもないが)を控えてくれるとはは期待していない。とサカズキが自分たちの世界に来た折に、全く気にせず「致していた」あたり、自分の運命も明白だ。はぎゅっと、の手を握り返した。
「折角だもの…、今夜は二人で部屋でお喋りしましょう…!」
「そうだね…!パジャマパーティ、ガールズトークお泊まり会の基本だよね…!!」
鍵程度でサカズキ二人が防げるとは思えないけど…!!!!と、双方後半は声には出さず心の中で叫んだ。
普段であれば「お喋り」やら「お泊り会」などとは無縁の二人。似合わないというか、しゃらくさい、と一蹴にするタイプだったが、今はそんなことを構ってなどいられない。お互いの手を握り締め、二人は今夜をどう乗り切ろうかと、必死に策を巡らす。
そして二人とも、あまりに動揺しすぎて気付いていないが、たとえば今晩女二人で過ごせたとて、同じようにサカズキと赤犬が二人で過ごしロクでもない話し合いに花が咲きまくれば翌日もっと深刻な事態になるのではないか。
そうこうしているうちに、いつの間にか意気投合していたサカズキと赤犬の会話は相手の性感帯の話にまで発展していくのだった。
(全力で逃げよう…!)
Fin
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2010/06/08 16:00
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