ウォークインクローゼットの中でちょこんと腰掛け、は小難しい顔をしながらいくつもの葛篭をひっくり返した。色取り取りの飾り紐やら帯、リボンにショール、スカーフとあれやこれやとひっちゃかめっちゃかなその状況。朝食の準備はとうにすんでいる早朝6時。サカズキは一階の居間で緑茶を啜り今日の予定を立てていた。と赤犬が起きてこぬのは、まぁヘタに声をかけに行くのはヤボというもの。とにかくは自室の広々としたクローゼットの中であれやこれやと漁り、目的のものを見つけ出そうとするのだけれど、十分ほど探してみても目当てのものに行き着かぬ。
「あれ、ぼくどこしまっちゃったっけな」
「何しちょるんじゃァ、おどれは。中々降りてこんからに」
「あ、サカズキ」
きょとん、と首を捻っているにやや不機嫌そうなサカズキの声がかかった。基本的にサカズキは朝に弱い。だが現在、機嫌が悪いのは朝だからという以上の理由もあった。見当つかぬではないのでなるべくサカズキの機嫌を損ねぬようにと注意を払いつつ、くいくいっとズボンの裾を引っ張った。
「ぼくの魔女の正装、探してるんだけどさ、あれどこだっけ?」
「おどれの嫁入り道具なら奥の葛篭じゃろ」
どこの世界に魔女の正装を嫁入り道具する大将がいるのだ。は突っ込みたい衝動を抑えつつ、奥の葛ならもう探した、と頬を膨らませる。
「どこにもないんだよ。へんなの、失くすわけないのに」
魔女の正装。や実姉、それに詩人シェイク・S・ピアのような正式な魔女は必ずその能力に合った、あるいはその司る童話に相応しい色・宝石・花がある。正装とはそれらをあしらったもので魔女の決闘時に纏いあえばそれは華やかな夜会のよう、というような、簡単に言えばドレスだ。、正しくは夏の庭の魔女の色は白、宝石はダイヤ、純白に白薔薇の刺繍のヴェールやらなにやら、何気に嵩張ってしょうがないシロモノが行方不明。はて、あんなにやっかいなものがそう簡単に紛失するものかとは眉を寄せ、サカズキを見上げる。
「サカズキ隠したでしょ?」
「二度と着る必要はねェ」
問いというより確認の形にすれば今度ははぐらかすことなくあっさり白状した。うわ、と、ですら思わず顔を引き攣らせ、疲れたように肩を落とす。
「そうならそうと言ってよね、ぼくずっと探してて無駄な体力つかっちゃったじゃないか」
「怒らねェのか」
「サカズキ怒られたいの?」
「バカ言え。わしは間違ったことはしちょらんわ」
言い切ったよこの人。
そりゃ、確かに魔女の誇りともいえるものを隠されたのは色々思うこともあるが、悪意あってのことではないとわかりきっているのでは別段気にしなかった。
それとここまで開き直られると怒るこちらが理不尽な気がしてくるので、そういう気力はにはない。むしろニコニコと妙に機嫌がよくなると、サカズキが眉を寄せて、すとん、と腰を下ろした。
「なんじゃい、怒らねェにしても拗ねられるかと思うちょったが」
昨晩結局とはそれぞれ相手と寝室を共にするハメになったが、とサカズキは(普段はさておき)健全に就寝している。いくらもう一人の自分とあれこれいかがわしい話で盛り上がったといっても、昨日は異世界越えを行い相当力を消耗しているわけで、なおかつ、もう一人の自分がいる赤犬と違い、イレギュラーな存在になっているをこの世界に馴染ませるため、はあれこれ準備もしていた。そのに無理をさせる気はないサカズキが手を出さず無事に済んだのだが、基本妻とベッドをともにしたら可愛がらねば夫失格、と思っている男、朝の密室での頬に手をかける仕草が、なんと言うかいかがわしい。
はゆっくりと自分の頬を撫でてくる指先に顔を赤らめつつ、青い目をサカズキに向けた。
「だって、二度と着る必要がないようにサカズキがぼくを守ってくれるってことでしょう?」
独占欲とかそういうことはさておいて、素直には喜んだ。サカズキは少々意外そうな顔をして、首を傾ける。ん?とものめずらしそうな目をされはころころと喉を鳴らした。
「なァに?」
「おどれがわしに守られるちゅうんを否定せんのが意外じゃのう」
そもそもがここに軟禁されている一番の理由は、がけしてサカズキに守られようとせぬからで、サカズキは守れないという状況を自覚せぬように、をここに隠している、という歪なもの。は拒まぬが、しかし何かあった際に、はけして大将を頼らない、という意地のようなものがある。それこそがとサカズキにとっての喉に引っかかった魚の骨なのだが、今はあっさりと「守ってくれようとして嬉しい」というような顔をしている。
長年の求愛が利いたのか、とかそんな都合のいいことはいくらサカズキでも考えないが、どういう風の吹き回しだと訝る。その様子がには新鮮なのかころころと猫のように喉を震わせて、サカズキの手に自分の小さな手を重ねた。サカズキの大きな手をゆっくりと小さな手でなぞり、吐息のように微笑む。
「守られる気はないけど、でも、守ろうとしてくれているのは嬉しいなって、そう思うの」
「」
「なぁに?」
「今すぐ抱いて構わんか」
「きみって本当雰囲気とかそういうのちっとも考えてくれないよね」
もう慣れたけど、とはため息を吐き、一応確認してくれているということは拒否も可ということだと判断して「ダメ」と簡単に口に出す。僅かに不満そうな顔はされたが、ここで手を出しては何のために昨晩なにもせずに寝たのか無駄になると、そうきちんと理解はしているらしい。サカズキはくしゃくしゃ、との髪を撫でてそのままひょいっと抱き上げた。クローゼットはサカズキが直立しても問題ないようにかなりの広さと高さになっている。あっちこっちに荒れ放題になったクローゼットを見渡し、ふん、と鼻を鳴らす。
「ようけ荒らしたのう。何しちょるんじゃァ」
「ちゃんと片付けるよ。うん、に昨日貸した着物は多分あっちのサカズキが台無しにしちゃってるだろうから、今日は何か変わりになるものないかなァって探してて」
「で、おどれの魔女の正装か?」
「まさか。あれはぼくだけしか着れないよ」
着たらどうなるか試してみたい気もするが、危険が伴いまくるのであっちの赤犬が許しはしないだろう。は脳裏にもしもこっちのサカズキと向こうの赤犬がガチンコ勝負をしたらどうなるのかとそんなことを考えつつ、サカズキに抱きかかえられたまま部屋を見下ろした。
「にはトカゲの勝負服を貸すからいいんだよ、で、どのみちと向こうのサカズキ、今日本部に連れてくんでしょ?ならぼくもセンゴクくんと、ジジィどもに事情の説明しないとだし、ちゃんとした格好しないとダメかなって思って」
今さり気にの今日の服がとんでもないものに決定された言葉を聞いたが、サカズキはとりあえずそこには突っ込まずにおいた。どういう格好があの歩くR指定されても冤罪ではなかろうなトカゲの勝負服なのか想像したくないが、最終判断はと赤犬がするだろうと放任主義である。
「五老星と言え、不敬じゃろう」
自分が言ってもこればかりは改める気がないのは判っているが、大将として一応は口に出し、サカズキはの頭をこつん、と叩く。
そして確かに今日は海軍本部に顔を出さなければならないと頷いた。新聞で確認したが、こちらの世界ではとサカズキが最初の異世界トリップとやらを経験してからまだ1日しか経過していないことになっている。つまりサカズキは昨日の昼、仕事中突然消えたまま、ということだ。丁度クザンが執務室に来ていたので自分に何かあったとしても関係、あるいは魔女繋がりだと勘付くだろうが、仮にもこの世界にもう一人赤犬が増えたのだ。一度きちんと元帥に報告する必要はある。
確かにそうなればも同席、あるいはサカズキの関われぬ場所でが説明を求められるという事態になるやもしれぬもの。が魔女の正装に頼ろうとしたその考えもわからぬわけではなかった。
「大丈夫だよ」
押し黙ったサカズキにがそれはもう、無邪気な声を弾ませる。こういう声を出すときはロクなことを考えていない。サカズキはを見返し、何を考えているのかと催促した。
「いざとなったら、姉さんを呼ぶから」
その展開になったらマリージョアが沈む。
サカズキはとりあえず、そういう理由で自分が元帥たちに説明することになった、と説得することにした。
1日目・午前の話
歩き慣れた、しかし実際のところは初めて歩くマリンフォードの港町から海軍本部に繋がる坂道を歩きながら、と赤犬は心底、この世界と自分たちの世界の違いを実感させられていた。
朝食を終えてはの用意した服を着ることになったのだが、まぁ、その服は「誰の趣味!?」と叫びたくなるような、これまでの着ていた服とはまるで違うデザインだ。
いや、けしてセンスが悪いわけではない。しかし、胸のところが大きく開き、首紐で吊るされ、さらに背中がこれでもか、というほど曝されている、大胆なスリットが入っているのはもう言わずとも想像されるだろう、ワインレッドのロングドレスだ。これは明らかにの服ではないし、が昔着ていたとも考えにくい。合わせはヒールではなく革のロングブーツ、ストッキングは太股までの黒のレースを着用義務!とに真剣に言われ、は本当に、これを着ていたという「トカゲ」は何者なのか気になった。
衣装とセットなのか銃のホルダーも着けさせられたがセットする銃もない。ベルト代わりということで納得することにして、は鏡に映った自分の姿をみて思わず顔を顰めたものである。
そういう格好をさせられ、は露出狂の気もないので着用を拒否しようとしたが、の「え、じゃあスプラッター?」という脅しのような事実確認のようなあどけない顔に押し黙る。
の世界のサカズキ、大将赤犬はといえば、その格好を眺め一度目を細めたくらいで特に反応はしなかったが、があれこれと髪を結っている間サカズキに向かって「向こうの世界に戻る際にのあの姿を目撃した連中の記憶を消せ」などと心の狭い要求をしていた。
そういう格好で本部までの長い坂を歩きながら、は時折こちらに向けられる視線にどう反応していいのかわからなくなる。
海兵らの出勤時間より少し早いうちに移動しているというのはわかるが、それでもちらほら、とマリンフォードに家族を持つ将校らの姿があった。彼らはまず赤犬が二人いることにぎょっとして、しかしその次にサカズキの隣に小さな赤い髪の少女がいることを確認し「またが何かしたのか」とあっさり納得するのだ。どうなっているんだこの世界、とと赤犬は突っ込みをいれるべきか迷ったが、異世界トリップなんぞやらかす魔女のが普通に生活しているのだ。海兵たちも「妙なこと」には慣れているのだろう。
それよりも、が困惑するのはそのあとの海兵らの視線である。
あからさま、というのはサカズキと赤犬の手前できぬのだが、海兵らは妙に、こちらに注目していた。自分のこの格好がおかしいのか、あるいはトカゲという人物の服であることがわかり、なぜそれを自分が着ているのか探られているのか、と居心地が悪かった。
が視線に曝されるたびに赤犬が不機嫌極まりない顔になる。絶対周囲の温度が変わっているだろうことは間違いなく、は何度目かのため息を吐いた。
自分のいた世界でも時折ぶしつけな視線を投げられることはあるが、この世界とはまた違うものだ。
この世界では自分を「悪夢」という海兵であると知るものはいない。それであるから、彼らの視線は「なぜ大将赤犬と一緒にいるのだ?」という、悪意のない純粋な疑念ゆえのものになる。
なぜそれがいたたまれぬように感じるのか、それはにはわからぬが、気力が奪われることは確かだ。普段であれば苦にならぬ坂道も、今は長く感じる。そうして額にうっすらと汗をかいていると、急に背が冷えた。
「ありゃァー、こんなところにスーパーボインな悩殺ねーちゃん。ランチどう?」
次の瞬間、現れた大将青キジがW赤犬に蹴り飛ばされた。
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「あー…はいはい、あれだろ、どうせどの世界でもべっぴんさんは皆お前の嫁なんだろ!!本当おれ泣くよ!!一生独身貴族確定!!?もうなんでサカズキばっかいい思いすんのよ!!!」
前半はもう諦め口調、しかし言いながら段々憤るものを思い出したのかクザンがバンッ、と海軍本部“奥”の食堂のテーブルを叩いた。
が昔バイトをしていた一般食堂とは違い、将官クラスが利用することの多いこの食堂はテーブル一つとってもセンスがある。そして早朝のため利用客も他におらず、サカズキたちは一度クザンにこの状況を説明するか、ということでここに足を運んだ。
「トリップしました」というなんともいい加減な事情をが話し、あっさりとクザンは納得する。それでいいのか、という突っ込みはクザンの「だってちゃんだし」の一言で不可となった。
そういうわけで、増えた赤犬のことにはクザンは何も言わなかったのだが、「あっち世界のサカズキの恋人だって」との紹介に、冒頭のセリフを吐いたのだ。
ちなみに目じりに薄っすらと本気の涙が浮かんでいて、はどう返事をするべきなのか迷ってしまった。
というか、こちらの世界の青キジは赤犬の伴侶に懸想しているのか、とと赤犬には少々衝撃的な事実である。もちろんたちの世界にも青キジはいるが、きちんと別の恋人がいる。しかし目の前のクザンは、に声をかけてきたものの、その目は先ほどからずっとに向けられているし、サカズキが(クザンへの嫌がらせなのか牽制なのか知らないが)を自分の片膝に乗せているのを恨みがましい様子で見守っていることから、一体どれほどこちらのクザンが不毛で不幸な横恋慕をしているのか伝わってきてしまっている。
「まさか青キジまで幼女趣味たァ…この世界はどうなっちょるんじゃァ」
しっかりとを自分の隣に座らせクザンからガードしつつ、赤犬はもっともな感想を口にした。の容姿が優れていることは赤犬も客観的に判断して認める。しかし、幼女は幼女である。男の欲の対象にするべきなど間違っている。一応は成人した「魔女」であるという説明を赤犬も理解しているが、幼女にしか見えぬものに劣情を抱くなど犯罪だとしか思えない。他人の趣味趣向にどうこう言うつもりはないものの、こうも男を誑かしている「」というのは何なのだ、と赤犬は問うてみたくなった。
「いや、おれはどっかのバカッポー亭主と違ってロリコンじゃねぇし」
「ド阿呆、わしとてそんな歪んだ性癖なんぞ持ち合わせちょらんわ」
こちらの世界の赤青大将の切り替えしに赤犬は眉を寄せた。じゃあその隣にいる幼女はなんだ、とそう返してやりたいが、赤犬が何か言う前にがころころと喉を震わせて会話を区切った。
「年齢的な話をすれば、サカズキがロリコンなんじゃなくてぼくがショタコンってことになるんだけど、絵づら的に嫌だからこの話終わっていい?」
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先ほどとは変わって想像しい食堂の片隅では明らかに色が付いているだけだろうアイスティーにストローを差す。とりあえずサカズキと赤犬、それにクザンはセンゴクの元へ説明に向かっている。とは待機するように言われ、場所を奥の食堂からこの一般食堂に移している。
なぜ赤犬だけ先に向かうことになったのかと言えば、単純だ。
「サカズキが増えました」で絶対に元帥は頭を抱える。
絶対に頭を抱える。
それはもう見事なくらい、「何をしてるんだぁああああ!!」と声を上げて苦悶の表情を浮かべる。
はこの世界にはおらぬので「お客人」として不都合もなかろう。余計な問題を増やしてセンゴクの胃をいぢめるのは良くない、と、トリップした張本人が何を白々というのか、が提案した。
赤犬とてが異世界の住人であるからと科学班やらに怪しげな検査をされるよりはとその提案を採用し、こうして海軍本部の一般食堂にとがちょこん、と座っていた。
「こちらのセンゴクさんやおつるさんに会ってみたかったわ」
「たぶん後で会えると思うよ」
はストローの紙袋を指先で丁寧に折り曲げて星を作りながら、騒がしい食堂を眺めてぽつり、と答えた。一般食堂に行けば名物メイドのマリアちゃんに会えると思ったが、彼女(彼)も出世したようで、以前のように給仕役に回ってはいないようだ。おそらく中の厨房で料理を作っているのだろう。そんなことを考えつつ、は紙で作った星をグラスに貼り付けて満足そうに眼を細める。
「別に危険もないし、まぁセンゴクくんも渋々納得してくんを解剖しようとはしないと思うし」
「お前さんひょっとして機嫌悪い?」
おや、とはの顔を覗き込んだ。別段不機嫌になる要素はないと思うが、秋の空のようにころころと気分が変わるのがだ。ひょっとしてサカズキから放されて拗ねているのだろうかとそんなことを思っていると、二人の頭上に声がかかる。
「海軍本部の見学ですか?」
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説明を受けて、センゴクは胃が痛くなった。
「……ここ最近は大人しくしていると思ったら…あの魔女はなぜ突拍子もないことを…」
もちろんサカズキは先ほどがクザンにしたようないい加減な説明をしてはいない。しっかりと報告書を読み上げるように、なぜ自分と同じ姿の人間がここにいるのか、昨日の昼から自分の姿が消えたのかを丁寧に説明した。
しかし、どうオブラードに包んで説明したところで「新婚の参考にしたくなったらトリップした」という、頭の痛い結果に変わりはない。
センゴクの優秀な秘書官らも顔を引き攣らせ、今のサカズキの発言を記録するべきかどうか迷っているようだった。それらを一度ぐるり、と一瞥してからセンゴクは深い深いため息をつく。
「戦力の拡大やこちらの世界との知識・認識の違いなどを調査し何か利益が生まれないかなどと考えるより…関わらない方が賢明か」
ここ最近「サカズキの奥さんになる〜」とそれはもう上機嫌にが家に引っ込んでくれているのでとても平和だった!しかし、やっぱりは魔女である。なぜこんな面倒なことをあっさりとしでかすのか。
別の世界の人間を連れてくることができる、と、そうなれば科学者たちはどれほど狂喜乱舞するだろう。悪魔の実の能力の複数所有は可能か、や、時間軸の違う世界に行き、こちらでは死んだ人間を連れてくることはできるのか、など様々な推測がされるに違いない。
しかし、そうなればややこしいことになる。そういうあっさりしたことなら簡単だが、世界のバランスが崩れるのはあまり宜しくない。
サカズキが二人に増えてクザンなどは笑っているが、真剣に考えればこれは中々厄介ごとだ。
とりあえずセンゴクは、これ以上海がややこしくならないように、今回のサカズキが増えている、という妙な事実は「魔女が何かした」という情報のみを本部内に通達することにした。
「一応、赤犬と、もう一人の赤犬は…ベガパンクのところに行って身体データを取らせてやってくれ」
今朝赤犬が二人になっている、という珍事は瞬く間に科学班の引きこもり、ではなくて、天才科学者ベガパンクの耳に入り、サカズキたちが来るまで彼からひっきりなしに「調べさせろ!!」と催促の通信が入っていた。
センゴクは頭痛のする額を押さえ、今日は頼むから何事もなく1日が終わってくれと、儚い願いを抱くのだった。
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「海軍本部の見学ですか?」
声をかけられ、は「あら?」と首を捻る。テーブルに近づいてきたのは見るからに「新兵」というに相応しい初々しい様子の海兵が二人だ。短く刈った髪に日焼けした顔が好ましい。新兵には見えるが幼いと言う訳ではなく、歳は十代後半というところだろう。こちらに近づいてきてやや緊張しているのがよくわかった。
「ここの食堂のマリアちゃんと友達なの。だから彼女が仕事終わるまで待ってるんだよ」
の知人だろうか、とが返事をしかねているとがにこり、と愛想のいい顔で答える。の愛想がいいのは初対面、それも海軍の奥の事情を知らぬということだとは素早く察する。
「副料理長と、でも、まだまだ時間かかりますよ。あの、も、もし」
「もしよかったら…!握手してもらえませんか!!」
一人の青年が言いよどんで沈黙すると、すかさずもう一人の海兵が頼み込んできた。
はい?とは停止する。は何か面白いのか「はははっ」と普段の嫌味っぽい笑い声でも含み笑いでもなく素で笑っているではないか。
「いや…!!あの、その…おれたちみたいなしがない海兵が…」
「本当地位も弁えてないってわかってるんですけど…!!!!」
なぜ自分が握手を求められねばならないのかと、その理由を必死にが脳内検索かけている中、二人の海兵は沈黙を迷惑していると感じとったのか口々に話す。その慌てふためきぶりに、は一番の有力候補だった「異世界からきた自分が珍しいから?」というのを却下した。
「違うしー、二人はがあんまり美人だから握手したいんだよ」
「って心の中読めるの?」
「まさか、そういうオプションはないよ。きみがわかり安すぎるんだ」
そうだろうか?自分の世界ではポーカーフェイスに定評があったのに、とは眉間に皺を寄せつつも、の説明に二人がいっそう顔を赤くしたので信じることにした。
「ありがとう。私はというの。お前さんたちは?」
なんと言うか、ナンパにしては硬派過ぎるだろうとは苦笑した。の知る男性のナンパというのはそれはもう直接誘ってくるものが多い。この青年たちのように、必死に勇気を振り絞って相手に声をかけ、そして求めるのがただの握手、というのが、なんともまぁ、可愛らしく思えた。
が名乗ると二人の海兵はますます萎縮する。まさか名前を教えてもらえるとは思わなかったらしい。それはもう緊張しきった声で自分たちの名前と所属を答える二人の言葉をは丁寧に頷いて聞き、確認するように二人の名を繰り返した。すると、二人が感極まったように顔をくしゃくしゃにするものだから、がころころと笑い声をあげる。
「ふ、ふふふ、はは!くんが所属を言い間違えなかったことに二人、すっごい感動してたね!」
「そりゃ、私も海兵だもの。間違えないわ」
「普通の女性は一回聞いたくらいじゃ覚えられないからね、二人には嬉しいんだよ」
そういうものだろうか、とは二人と握手した手を握り首を傾げる。
二人はあまり時間がないのか、それはもう丁寧な挨拶をして食堂から出て行った。これから訓練なのだろう。新兵時代は体力造りが基本だ。
はふとあの二人は自分の世界にもいるのだろうか、とそんなことを考える。しかし本部で顔を見た覚えはない。自分が気付かなかっただけなのか。まさかこの見知らぬが、結局は同じ世界で新たな知人を作るとは、と中々感慨深い感想を抱く。
「あの二人は勇気があるよね。さっきから君に声をかけたいって思ってる海兵は結構いるみたいだけど、いろんなことを気にしてダメみたい」
「何を気にしているの?」
「決まってる、自分の階級さ」
は先ほどの海兵二人の様子がそれほど面白かったのか、上機嫌にくるくると指を回す。
「海兵の格好をしていない飛び切りの美女がぽつん、とここにいる。一体何者なんだろうって皆不思議で、でもここにいて当たり前の顔をしているから、何か立場のある人なんじゃないかって思うんだよ」
そうして新兵たちは、そんなに声をかけるのは自分たちにはおこがましいと思い、そこそこ地位のある人間は、その隣にいる赤い髪のを見て「まさか赤犬の関係者か!!?」と見る分には癒されるが、関わって何か妙な問題に巻き込まれるのを恐れているのである。あとは、そこまで勘付かずとも、ほどの美女に声をかけるのに自分の身分が低いと気後れするのだろう。普段であれば階級というのはそれほど考えない人間でも、の美しさはそういう、男のプライドをいろいろ浮き彫りにさせるものがあるらしい。
そうが説明して、は「ヒナ姉に憧れる心境に近い?」と自分の世界で海兵たちに崇拝される女神のような女性将校を思い出した。
「ヒナって誰?」
「黒檻のヒナっていう海兵で…こっちにはいないの?」
「どうだろ、ぼく基本的に将官クラスじゃないと」
は自分の知らぬ人物の名に首を傾げる。そういえば、自分の世界での三日間にに関わる海兵は最低でも准将であると、そういう話を自身から聞いたことを思い出す。
もしいるのなら会ってみたい、とそんなことを思っていると、食堂がざわめいた。
サカズキたちが迎えにきたのか、ととは揃って入り口に顔を向ける。しかしそこにいたのは、大将には違いないが、ひょろっと背の高いクザン一人だ。
「よォ、、、待った?」
二人に近づくより前に、入り口で堂々とクザンは二人に向かって手を振った。
とりあえず、例の黒髪美女は青キジのお知り合い、ということで噂が立つのだろう。
Fin
(2010/06/15 19:43)
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