「クザンさん、来るなら前もって連絡してくださいよね、ただでさえ混雑業態だってのに一層面倒くさくなるじゃないですか」
何とか一区切りつけたのか、それとも事態の収拾を料理長に命じられたのか野暮ったいコック帽を脱ぎ背の高いコックが一人出てきた。
登場と共に食堂内の奇妙な雰囲気がほんの少しだけ和らぐ。にはやはり覚えのない青年だが、が弾んだ声で「マリアちゃん」と言ったので、何度かの話題に出ていた「食堂のマリアちゃん」その人なのだろう。
聞いた話ではと共に昔メイド服を着て給仕をしていたらしい。だが現在は副料理長であることを示す腕章を付けたコック服である。柔らかな巻き毛の、確かに整った顔をしているが女性には見えない。
その副料理長殿、不敬にならぬように大将青雉に一礼してから近くにきていたと双方にこれまた礼儀正しいお辞儀をする。そういう仕草は長く給仕をしていた人間らしくそつがない。しかしその次に顔を上げたときには、清々しい好青年、というよりもやや悪戯っ気のある愛嬌のある表情になった。そうしてわしゃわしゃ、との赤い髪をかき撫でる。
「マリア言うなつってんだろ。」
疎んでいるというわけではなく、言わねば言い続けらっるとわかっているゆえの対応のようには思えた。確かに、見たことはないがメイド服着用時は「マリア」と呼ばれてもまぁ宜しいだろうが副料理長の立場にまでなったというのにいつまでも「マリア」と女の名で呼ばれるのは威厳にも欠けるもの。面倒くさそうに言えば、はきょとん、と青い目を幼くさせて小首を傾げる。
「マリアちゃんはいつまでもマリアちゃんだよね?」
「…もういい」
大将青雉の登場により食堂の一般海兵たちは恐れおののき距離を取って奥のテーブルに移動した。食事はせねばならぬのが彼らの悲しいところ。逃げるわけにもいかず物音を立てぬように胃の中に素早く料理をかきこんでいる姿があちこちで見られた。としてはそこまで慌てることもなかろうと思うが、やはり普通の海兵にとって「大将」というのは畏怖する対象であり、ダラけた気構えのクザンであろうとそれは変わらぬ。いや、一番の理由は、「大将のお知り合いの黒髪美女」に先ほどから男として興味を抱いてしまっていたからで、うっかりそれを気付かれようものなら氷漬けにされるのではないかという危機感である。
は気付かぬが、は周囲の気配をそう敏感に感じ取りコロコロと喉を震わせ、その様子をじっくりと楽しんだ。そうしている間に食堂のマリアちゃんこと副料理長とクザンの会話が進む。当面の問題は、なぜ大将閣下ともあろう身分の海兵がフラフラ、とこんな一般食堂を訪れるのか、というマリアの小言だ。
大将なのだから自覚を持ってください、とマリアは整った顔ではっきりとものをいう。縦社会の海軍ではその階級は権力というだけではなく脅威にもなる。まだ身構えも出来ていない一般海兵が大将と顔を合わせてしまえばどんな影響がでるかわからぬもの、とそう、長年本部にいる料理人のマリアはつらつらと続ける。聞いているのかいないのか、クザンはポリポリ、と頭をかいて、マリアの勢いが収まったと同時に口を開いた。
「いやァ、悪いね。だっておれたちが使う食堂だとはともかくとしてが他の男に声かけられちまうだろうし、サカズキもここならお前さんがいるからを置いていっても大丈夫だって思ってるみたいだしさ」
「信頼していただけるのは名誉なことですが、のお守りは俺なんかにゃ荷が重いですよ」
「え、それ遠まわしに「迷惑だ」ってこと?」
「大将閣下はと違い察しが良くて助かります」
さすがはかつてドレーク造反時には「俺も一緒に連れて行ってください…!!」と必死に縋ったマリアちゃんは根性がある。にっこりとそれはもう整った顔で、クザンが思わず顔を引き攣らせることを言う。クザンは一度停止し、しかしすぐにぽりぽりと困ったように頭をかいてと目線を合わせるべくひょいっとしゃがみ込んだ。
「じゃ、次どこ行く?」
「その前にクザンくん、なんで一人なの?サカズキたちは?」
それは自分も気になっていたとも顔を向けてくる。美人二人の視線を独り占めっていうのも中々気分がいいな、などとクザンはぼんやり考えつつも、結局二人の頭の中にあるのは赤犬サカズキなわけでだと気付いて落ち込んだ。
「んー、あァ、なんかベガパンクが二人の体いろいろ弄って調べたいって」
「クザンくんが言うといかがわしく聞こえるけど、相手がサカズキ二人だからなんか変だね」
「弄るって、あの二人が大人しく言いなりになるとは思えないけど」
心配して顔色を変えるかと思いきや双方、きょとん、と首を傾げるのみである。あー、チクショウ、かわいいんだけど!!とクザンは内心叫び、がっくりと肩を落とす。あのベガパンクの「実験台」になっているなど、もし自分だったら相当嫌でどんな仮病を使おうかと必死に考えるところ。しかし科学班研究室へ降りていくサカズキ二人の姿は平然としていた。むしろ「これで何か発見があって正義へ貢献できればいい」などマヂで思っていそうな背であったのを思い出し、クザンは本当、なんであんな正義バカがいいのかと二人に聞いてみたくなる。しかし実際聞いたら落ち込むというのもわかりきっているもので、クザンはため息一つで、とりあえずひょいっと、を抱き上げるとあいているほうの手での手を掴んだ。
「とにかくここいるとマリアちゃんがフライパンでおれのこと殴りそうだから、場所移動するよ」
握ったの手があまりにも柔らかく「女性」らしかったもので、クザンは思わず握る手の力を強くしてしまった。
1日目・お昼
「今すぐあのバカを蹴り飛ばしたくなった」
「奇遇じゃのう、わしもじゃけェ」
採血するために寝台に横たわった体勢でサカズキがぽつり、と口を開くと唐突な言葉というのにまるで疑問も持たず隣で同じように寝ている赤犬も同意した。
っつーかあなた方はエスパーか、と何があったか察している化学班の面々はあんまりのことに顔を引き攣らせ、しかし突っ込みを入れるだけ無駄とわかっているのか無言でカルテに顔を落としていた。科学室長の趣味なのかこの研究室はぼんやりと薄暗い。作業をする際は手明りのみでむしろ光源はその手明りと天井にぽつり、とある小さなランプのみのため作業ディスクの光が落ちていれば月明かりの夜のほうが明るいというくらいである。
「クザンも巻き込みゃァえかったか」
サカズキは一応自分が戻るのが少し遅れるという旨をに伝えねば不安がろうと案じてクザンを伝言約に使ったが、そうなればあのバカが暫くとを独り占めする、という全くもって気に入らない状況になる。
「それより、おどれならあの幼女を傍につれてくるゆぅて思うとった」
てっきり赤犬はこれまでのサカズキのの甘やかしっぷりを見ていれば、この科学室に連れ込んで傍においておくくらいはするのではないかと思っていたが、サカズキはクザンに伝言するだけに留めていた。傍目には傍に置かねば不安で苛立ちそうな男と思ったが意外に冷静ではないかと、赤犬はこれまで変態疑惑しか抱けなかったこちらの世界の自分に対して評価を改める。
ふん、とサカズキは鼻を鳴らして上半身を起こした。まだ採血の途中で起き上がるべきではないが、サカズキの体格を考えればさほどのことでもなかろう。赤犬は自分も起き上がり、細い管に流れていく赤い血を眺める。まさかこの自分がベガパンクの実験動物扱いされるようになるとは思いもよらぬが、しかしこちらのサカズキはよくあることだとそう言うではないか。確かに自然系の能力者のデータなら軍は欲するだろう。赤犬の知る限りベガパンクの実験材料になるのは海賊や犯罪者だったが、なるほどこちらの世界では「志願者」であれば海兵もその対象になるのか、と聊か新鮮な思いである。
体を起こせば聊か意識がぐらついた。普段こんなことはない。この自分が影響を受けているなどどれだけ採血したのだと赤犬は顔を顰め、目元を押さえる。針を通すため海楼石の手錠を片手にしている所為もあるかもしれない。顔を顰めていると隣のサカズキが懐から懐中時計を取り出し時間を確認している。
「もうじき昼時じゃけぇ、昼までにゃぁ戻れるゆぅて思うとったがのう」
この調子ではまだまだかかりそうだ、とサカズキが珍しくため息を吐く。その金の懐中時計を赤犬は何気なしに眺め、顔を顰めた。
あえて言葉に出す気はないが、その懐中時計、蓋の内側にあの幼女の写真が嵌めこまれている。あれか?仕事中の息抜きに眺めるのか、それで仕事しているのか、と赤犬は本当に、この世界の自分はなぜここまで開き直っているのかと頭が痛くなってくる。
自分と似た性格であるとなんと無しに思えていたが、これはもう完全に別人だと思いこめるようにしたほうが色々と精神的にいいかもしれない。
珍しく赤犬が頭痛を感じ額を押さえていると、気付いたらしいサカズキが顔を上げる。
「おどれはわしを幼女趣味じゃァいうて非難するがのう」
「事実じゃろう」
「仮にがあれ位ぇの年齢の姿になったら手ェ出さねェか?」
一拍ほど考え、赤犬はサカズキに素直に謝った。
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所変わって、クザンの執務室。こちらはの記憶にある元の世界のクザンの執務室と似ているものの、やはり少しばかり様子も違う。大きな執務机にソファと、それは同じだが壁際には化学実験の装置のような妙なフラスコやらなにやらに繋がるものがある。コトコトとそこから抽出されるのは香りの良いコーヒーで、曰く「クザンくんの趣味」だというコーヒーを入れる装置らしい。
「まァ、ここなら余計な連中も来ねェだろうし、ゆっくり寛いでよ」
そう言ってクザンはにコーヒーを差し出してきた。にも同じようにしようとしたが「ぼくはコーヒーより紅茶派」とそれはもう当然のように言い切りクザンを凹ませている。
「ありがとうございます…って、なんだか変な感じがするわ」
「うん?」
「もちろん、私の世界にも大将青キジはいるんだけれど…そういうよしみで今どういう態度を取るべきかしらって」
丁寧語でなくても構わぬだろうが、敬語を使うべきだろうか、とそれがの悩むところ。赤犬とサカズキなら明らかに二人は違いがわかったので自然の態度も定まるが、ことクザンに対してはどうするべきか。
困ったように首をかしげていると、自分でお茶を入れたがカップを片手にきょとん、と顔を幼くする。「好きなように呼んだらいいんじゃないの?」と当然のように言うが、その「好きなように」というのが定まらないから困っているのだ。そういうの様子に気付いてクザンが向かいに腰掛けままぽりぽりと頭をかく。
「あー…そっか、何、お前さん海兵なんだっけ?」
「えぇ。だから、知り合いではない大将閣下に不敬な態度は取れないのです」
あちらのクザンは知っているがこちらのクザンは知らない。海兵としての自尊心からあけすけに、というわけにもいかぬが、しかし、向こうのクザンを知らぬわけではないのだから、堅苦しい態度を取る野には違和感がある。
「まァ、お前さんが海兵でも俺の部下ってわけじゃァねェし、どっちかってとちゃんの友達だと思ってるから、気軽にしてくれると楽なんだけどねェ」
「気軽に、ですか」
「そうそう、気軽にこう、今晩とかどうよ?」
さりげなく手をつかまれが眉を顰めると、スパコォン、とがクザンの頭を引っぱたいた。
「ちゃん、え、なに嫉妬とかしてくれ、てるわけねェよな」
クザンは殴られた頭を摩りつつ、ひっぱたく道具であるスリッパをしまうに顔を向ける。はの隣に座りなおして、呆れたように肩を竦めて見せた。
「何かあったらあっちの大将閣下が何かしそうだし、そうなるとサカズキも困るだろうからねぇ。ぼくは良い奥さんだから愛する旦那さまのためにがんばるんだよ」
「え、何、あっちのサカズキも愛妻家なの?」
「結婚はしてないから愛妻家というのはどうかしら…?」
問われては首を降る。この世界のとサカズキのバカッポーっぷりは見ていていろいろ思うことはあったが、自分のところの赤犬が「愛妻家」になる可能性は随分低いと断言できる。というか、赤犬がこちらのサカズキのように開き直って堂々と自分に求愛してくるようなのは…はっきり言って気味が悪い。誰だお前、頭でも打ったのか、と突っ込みを入れネタにするくらいしかはマトモな対応を取れないだろう。というか、そんな赤犬は見たくない。
しかり二人のやりとりを聞いていたはの回答に面白そうににんまり、と笑う。
「わかんないよー、こっちのサカズキがそうなってるってことは『大将赤犬』にはそういう素質があるってことなんだろうから、次第じゃ、ぼくより面白いことになるかもしれないしー」
「そうかしら…?そもそも結婚なんてするつもりもないし…」
「え、ないの?」
「なんで?」
なんで?と二人が同じ顔をしてこちらを見てくるがは返答に困る。そもそもからすれば別の世界とはいえ「大将赤犬」に細君があるということ事態驚きで、信じられなかった。そういうものとは無縁の人、と思っていて自分も自然とそういうことを考えなくなっていた、というのが正しい。
「似合わないでしょう?」
じぃっと見つめられているままでは居心地が悪い。はそれ以上の追及を許さぬように緩やかな笑みを引いて一蹴にした。その態度でクザンは「ふぅん」と素直に引き下がるが、しかしはきょとん、と顔を幼くさせ、を見上げる。
「似合わないって、が?それとも大将閣下が?」
真っ青な目がこちらを見つめる、は眉を寄せクザンに目配せをしたが、青キジは肩を竦めるのみで助ける気配はない。じぃっと、あどけない様子。しかし誤魔化して答えることを許さぬ、という真剣な目に、その意図は何だとは少し考える。
「どちらもよ」
ゆっくりと10秒ほどの沈黙の後に、は静かに口を開いた。似合わない、そういうものは無縁だ、とそれは赤犬だけにではなくて自分にも言えることではないか。たとえ赤犬がこちらのサカズキのように「妻を守るのが夫の第一条件」と堂々としたとしても、自分は「旦那さまのためなら軟禁可」というのようには振舞わぬ。恐らくは己らには「結婚」という関係は不要なのではないか。もし婚姻関係にあったとしても、今と何も変わらぬ状況、で、あるから、必要性を見出せない、その可能性を求めない、ということではないのか。
短く答えれば、それでは不服だとは言うかと思った。しかし、じっくりとが思考に沈むのを眺めて、ふぅん、と眼を細めるのみである。
そうして何か口を開こう、としたその瞬間、バタバタと廊下が騒がしくなった。
「ん?」
「何かしら」
ここは海軍本部の奥に位置する棟で大将らの執務室がある階はほとんど人の行き来がないらしい。(建物の構造もが知る海軍本部と少々違った)それであるのに、何か、聞こえるのは「お待ちください!!」だの「誰か…!!元帥を呼んで来い!!」など妙な声なのか。とクザンが腰を浮かせ、とりあえずはの安全を確保するべきだろうと、双方海兵らしい行動を取ろうとした、直後。
バタン、と扉が乱暴に開いた。しかし乱雑、ではない印象が即座にの頭に入る。ふわり、と花の柔らかな匂いと共にゆたかな青い、海のような長い髪が目に入る。
クザンの執務室に乱入してきたその人物、駆けて来た為に頬をうっすらと赤く上気させ、そのたおやかな様子。駈けたというにその髪はすべらかに乱れずきちんと収まるほどの艶やかさ、豊かな胸を上下させながら、部屋の中をぐるり、と見渡し、硬直しているクザンと困惑しているは視界にいれぬままぎゅっと、の手を取った。
「わたくしのリリス…!!!あなた何を考えてそんなみっともない所業をしてしまったの!!!!」
リリス、というのはのことだろうか、とどういう状況かさっぱりわからぬ、頭の隅でそんなことを思いつつ、の反応を見守った。突然表れたこの、豪奢な瑠璃色の髪の、絶世、というよりは傾国の、とつけるほうが相応しかろう様子を醸し出す美女。ぎゅっと、の両手を掴んでいる。
「あなたが…!!あなたともあろう者がよりにもよってあの破廉恥極まりない痴女と同じく異世界越えなんてマネをするなんて…!!!いいえ、あなたのことですもの、自分の意思ではないのよね?どうせあのろくでもない大将殿が無理難題でもふっかけてあなたの魔女としての資格に傷をつけようとしたのね!!!あぁリリス…!!!もうあんな男の傍にいるなんてよくないわ…!!今すぐわたくしと水の都で暮らしましょう…!!!」
「姉さん、姉さん、お願いだから落ち着いてね」
「これが落ち着いていられるものですか…!!!あなたが、あなたがあんなことをするなんて…!!!!」
どうやらこの女性は水の都に住んでいる人らしいが、には覚えがない。元の世界ではまだ出会っていないということだろうか。の制止の言葉もまるで効果はない。「あぁ、なんてこと!!」と嘆き美しい眼に涙を溢れさせている。
この状況は何なのだろうか。
は必死に状況を把握しようとするのだが、どうも、まるでわけがわからない。額に手を当てていると、唐突に、問題の美女がを振り返った。
「あなた…!!!あなたがリリスを困らせているのね…!!!」
「はい?」
「…いや、姉さん、ちょっと待っ、」
の言葉は最後まで続かなかった。ひょいっと、問題の美女が指を振ると、そのしなやかな白魚のような指に絡められたのは細長い指揮棒である。何をするのか、と、困惑半分、そして海兵としての勘から警戒した刹那、の体がふわり、と浮かんだ。
「姉さん!!!!!に何を…!!!!!」
慌てるの声というのは初めて聞いた、は自分の体が自分の意思ではない力によって浮き、そして、目の前が真っ白になった。
Fin
(2010/06/23 18:03)
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