< 眩い光が当たりを包み、収束したのは数秒後、のはずだった。の体は妙な浮遊感を覚えた直後、唐突に落下し、何か柔らかい、いや、硬いことは硬いのだが床よりは柔らかく、クッションよりは硬い、というようなもの。

「っ!!!!な、なんだ!!!?」

音にすればこう、べしゃっというのが相応しかろう。はびっくりと目を見開き、瞬きをする。まぶしさで目が慣れるのに時間がかかるはずだが、あの光はそういう作用はないのかすぐに周囲が見える。最初に見えたのは天井だ。自分が仰向けになっているからだと判る。そして次に黒、と人の顔。これは、自分が安全マットにしてしまったらしい気の毒な人物が、こちらを侵入者か何かと思い、反射的に体を反転させた。簡単に言えば、、現在押し倒されていた。

「…お前は…どこから……何者だ」

慌てた第一声からは想像も出来ぬ落ち着き払った低い声。ぐいっとの両腕は圧し掛かった男の腕一本でまとめられ、下半身は逃れられぬように相手の太股で押さえつけられている。ぐっと、は反射的に体に力を入れて抵抗しようとしたが、しかし、その、己を見下ろす顔に聊か驚いた。

「X・ドレーク少将……?」
「……賞金稼ぎ…いや、海兵か?」

の呟きに、元の世界でそれなりに顔見知りである、海兵から離れ「堕ちた」と名高い赤旗、X・ドレークの目が怪訝そうに細められた。

そしては自分の手が視界に入り、「…はい?」と顔を顰めた。







1日目・お茶の時間に丁度いい






室内を満たした光が収まるより先に、は白銀の剣を携えて一歩前に大きく跳び、姉の首を掴んで壁に押し付けた。クザンとてパンドラがに何かしようとしたのに気付き動こうとしたが、のほうが素早かった。流石は剣の帝と呼ばれた魔女であると関心する半分、に剣を取らせたことがサカズキの耳に入ったら溶かされると焦る心が半分だ。ぐいっ、とは容赦なくパンドラを壁に押し付け、その鋭利な剣先を美しい赤の瞳に近づける。

「姉さん、に何をしたの、どこに飛ばしたの」
「まぁ、酷いわリリス…!!わたくし…あなたのためを思ってやったことなのに…」

珍しすぎる剣呑な様子にパンドラは一瞬きょとん、と顔を幼くさせる。しかし、次の瞬間ハラハラと真珠のような涙を流した。なぜ叱られたのかわからぬが、好きな人にこうして叱られることが悲しいのだと、そういう顔。かつて魔剣のレリヴェ・サリューに悪戯が見つかり叱られていたときのの顔そっくりである。こういうところは姉妹なのだ、とクザンは妙に関心してしまった。しかし、それにしたっての危険極まりない態度。仮にもパンドラは現在も世界の敵認定された人物。いかにといえぞ害してしまえばどうなるか知れぬもの。

「酷い、酷いわ…わたくし、あの女がいたらあなたが困ると思って…それなのに…!」
「泣き言なんて聞きたくないよ、今すぐに答えて、さもないと」

ぐいっと、が僅かに体を近づける。まずい、とクザンは眉を寄せた。普段は実姉であるパンドラには寛大だ。彼女の、ちょっとばかりイっちまった言動も「姉さんはそういう人だから…」と眉を寄せてたいていのことは流している(サカズキのことといいパンドラさんことといい、ひょっとしては心が優しいのか?いや、それはないか)がこうも怒気を露にし姉に敵意をぶつけている。なぜパンドラがをどうにかしてしまったのか、それはクザンにはわからないが、しかしこのままの状況が続くのはよくない。大将としてどうにかせねばならぬかと判断し、クザンは口を開いた。

「ちょ、」
「さもないと…が消えたなんてあっちの赤犬が知ったらこの辺一体焼け野原になる…!!!!」
「って、ちゃん、真剣なのってそれが理由…!!?」

やけに鬼気迫る顔で言い切ったに、クザンはすかさず突っ込んだ。ずべーっ、と突っ込みにお決まりな滑り込みもしたいところだが、生憎広さが足りない。

「当然だよ!!あれだけに執着してるあっちの赤犬閣下だよ…!!?サカズキだってぼくが姉さんの魔法でどっかに飛ばされたなんて聞いたら何するかわからないのに…!!!なまじ赤犬閣下はこの世界関係ないんだから遠慮するとは思えないしね!!!」
「うわー、すっげぇ説得力。おれあっちのサカズキのことよく知らねェけど、それ説得力あるわー」

クザンは脳裏に、が誘拐されたときのサカズキの様子を思い出して、真顔で頷いた。あれか、それをとあちらの赤犬に変換すればいいのか。

「あー、なるほど。死人が出るわ、それ」
「悠長に言わないで…!!」
「いや、だってサカズキでしょ」

が顔を真っ青にするがクザンはしみじみと実感してしまいそれどころではない。あれだ。どの世界であろうと共通してサカズキは「行き過ぎ遣り過ぎ自分が正義」の過激思想に間違いはあるまい。そういう男が恋人、あるいは妻に手を出されて黙っているものか。

「なぁに…?リリス、もしかして、あの女の世界の大将閣下もお連れしているの?そんな不条理なことをして…あなたの体に負担がかかるだけなのに…あの男は何をしていたのかしら」
「………お願い姉さん、これ以上話をややこしくしないで」
「わたくしはいつだってあなたの味方よ、リリス」

いや、しょっぱなからの困ることしている人が何を言うのか。突っ込んでも聞いてもらえないだろうからクザンはぽりぽりと頭をかくだけにした。といえば「…どの口が?」と聊か顔を引き攣らせたが、ここでさらに怒鳴っては姉を逆上させるかもしれぬと察したらしい。ぐっと拳を握って、それはもう、愛らしい笑顔を浮かべる。

「えぇ、そうね。お姉さまはわたしのたった一人の大切なお姉さま。わたしが大将閣下に酷いことされそうにならないように、助けてくれる、そうですよね?」
「…うわー、ちゃん、毎回思うけど別人だってそれー」

ぎゅっと姉の手を握り優しく微笑むのは、どちらかといえば純粋無垢培養液で育って悪というものの存在をハナっから信じなかったため火刑にされた夏の庭の魔女どのの顔。こちらがの本性なのだとクザンも聞いてはいるが、どうしたって「似合わない」と拒絶反応、鳥肌が立ってしょうがない。当人もこっちの自分は死んでもサカズキに見せたくないというほど嫌らしい。にこにこと姉を慕う妹の顔を向ければ、演技とわかっていても失われた妹に頼られるのが嬉しくてしかたのない世界の敵、パンドラ様。ぎゅっとの手を握り返し、涙で濡れた顔をそれはもう、美しく輝かせる。

「もちろんよリリス…!!!待っていてね、わたくしがきっと先ほど飛ばした女の行方を探し出してきてよ…!!!」
「うぅん、の居場所はぼくが責任を持って探し出すから、姉さんはと大将閣下を元の世界に帰すための方法を探していてね」

勢い込んで出て行こうとする姉に、は容赦なくばっさりと告げた。ぴたり、と、さすがのパンドラ様の顔も引き攣る。クザンも聞いた話によれば、異世界トリップなんぞというものは魔女の間でご禁制。というより、やったら「ンな非常識極まりないものに手ェ出しちゃった痛い子」扱いされるらしい。プライドの高さだけで高位の魔女に上り詰めたパンドラ妃。いくら可愛い妹の頼みといえど、そんなものに手を出せるのか、とクザンは反応を見守った。

「リリス…それは、ちょっと…」
「…そう…姉さんができないとなると、またぼくがするんだね…トカゲみたいな最初っから非常識と破廉恥の塊みたいな人ならともかく…ぼくみたいな自尊心のある魔女が何度もか……」
「……わかりました、わたくしがなんとかします」

ぐっと、パンドラが何かを堪えるようにしてそう頷いた。流石は妹命を掲げすぎて一国を滅ぼした女である。きっと、まぁ、あれだろう。禁を犯す覚悟を決めたというよりは、自分を「やっちゃった子」扱いした魔女は尽く滅ぼす覚悟を決めたというだけだろう。クザンは細かいことはとりあえず考えないようにして、一番面倒くさいことをちゃっかり姉に押し付けたに拍手を送ることにした。





+++





ディエス・ドレークは胃が痛かった。

ここ数年はからも解放されてそういう痛みと無事にサヨウナラを出来たとばかり思っていたのだが、あれか?おれは人並みの平穏すら願ったらいけないのか、などとかなり被害妄想に陥りつつ、ドレークは目の前の人物を眺めた。

年のころなら、かつて自分が手塩にかけて育てて見事に教育を失敗したとしか言いようの無いと同じくらい。真っ直ぐな黒髪は襟足のところが真っ赤なリボンで結わわれ、ワインレッドの、子供が着るにしては大きく、また聊か挑発的な服を身に着けている。眼帯をした顔は見覚えがないが、突如頭上から降ってきたこと、また全くもって記憶から消したかった、あの嵐のほうがまだマシだというようなトカゲ中佐を彷彿とさせる衣装で、気付きたくもないのだが「関係だ」と悟ってしまった。

「……つまり、君は成人した女性で、海兵で、の知人ということか」
「えぇ。突然すぎて信じてはもらえないかもしれないけれど」
「いや、この状況で疑うほうがどうかしている。関係なら尚更納得だ」

素直にドレークが理解を示せば、子供は顔を顰めた。元が大人というだけあって随分と大人しく礼儀正しい。顔立ちも整っていて、これは元の姿はさぞ美しい女性なのだろうと、ドレークは想像して関心してしまうほどだ。

「どうした」
「いえ…どうも、の知人は皆、イレギュラーな状況に対して包容力がありすぎるというか」
「彼女と過ごせばいやでもそうなる。君は海兵だといったが、それならの新しい世話役か?」

が、どう見てもヤクザにしか見えないおっかなすぎる遣り過ぎ行き過ぎ過激思想な大将赤犬と家庭を持ったことは聞いているドレーク。未だに「目を覚ませ!!」と説得したいが、中々上手くやっていると聞く。しかしの身分は未だ変わらぬゆえに、サカズキが護衛官を付けたのだろうか。、と名乗った少女に問えば、は首を降る。

「いえ。私は参謀ですので…書類の整理や、秘書の真似事が主な仕事です」
「参謀?一体きみは…いや、実際の年齢は聞くのはよそう」
「賢明ね」
「歳はわからないが、参謀に抜擢されるほどであればさぞ優秀なのだろう。の傍にいるというのも頷ける」

基本の傍に女性海兵は置かれない。それがこの女性は『特例』の処置なのだろう。あの大将も随分と変わったものだと、ドレークはかつての胃痛の日々を思い出しつつ頷き、再度を眺めた。

「しかし、ここはグランドラインだ。まさかおれが海軍本部に君を送り届けるわけにもいかないしな…」
「そうですね…わたしも、あまり大将殿の傍を離れていると…何だか色々不安だわ」
「? 何か仕事が残っているのか?」
「いいえ、つまらないことよ」

にこり、とが微笑んだ。その幼いが愛らしいというよりは美しい笑顔に一瞬ドレークはどきり、とする。女を感じたのではなく、その、奇妙な顔に軽い恐怖、という方が正しい。その恐怖がどういう種類のものか、ドレークは一瞬判じかねた。だがしかし、かつての幼い顔に花が散るような笑顔を浮かべた折に感じた恐怖とは違う。何かもっと、生々しいもののような、そんな予感がした。

「どうかした?」
「…いや、なんでもない。まぁ、が関わっているのならそのうち何か接触があるだろう。まずは君の服をなんとかしなければ」

気付けばドレークは掌に汗をかいていた。この、奇妙な悪寒は何だろうか。自分に向けられたものではないのは確かだ。自分は彼女に何を聞いたか。何か心残りがあるのか、と、そう聞いた。その前に彼女は不安だ、と言った。しかし、それはつまらぬことと、そういう。それが、この恐怖の原因のような気がした。

根底を探るべきか、気付きかけることをそのままに放置してあとで後悔したことが何度もドレークにはある。だが、このまだであったばかりの少女(に見える成人女性)にそのような、土足で踏み入るようなまねをしてもよいものかと、そう眉を寄せる。

「服、あぁ、そうね。これじゃ、ちょっと…でも、がこの格好には意味があるって言っていたのだけれど」

悩むドレークを尻目にが考えるように唇に指を当て、小首を傾げる。言われてドレークはの服をもう一度眺めた。恐らく、いや、確実に、トカゲ中佐が着ていたであろう服。確かに魔女の服ともなれば着ているだけで何らかの効果はあるのだろう。実際のところはわからぬが、は何か病に冒されていて魔女の服で回復を試みているとか、そういう経緯なのだろうか?

詳しく聞けば無礼になるとドレークは判断し、ほこん、と咳払いをする。

「それなら服の一部を身に着けられるようにしよう」
「そんなことできるの?」
「あぁ。その格好で外にでるのは嫌かもしれないが、少し付き合ってくれ」

そう前置きしてから、ドレークは自分のマントを外し、くるん、と小さなの体を包んだ。ひょいっと抱き上げれば、が目を見開く。ぱちり、とその琥珀の目を瞬かせている様子で、ドレークははっと我に返った。

「!しまった…つい、子供を扱うようにしてしまった…!すまない…!!」
「…いえ、何だか、新鮮というか、意外というか…あのドレーク少将が…その、手馴れていますね」

彼女は海兵で、なるほど自分の海兵時代を知っているのか。生憎ドレークはに覚えはないのだが、にどつきまわされている自分の姿ではなく、真面目に海兵をしている姿を信じてくれているらしいので嬉しかった。いや、ドレークだって好きで子育てが上手くなったわけではない。

「手馴れているというか…まぁ、いろいろな」

数少ない自分がちゃんとした海兵をしていた、という記憶をもってくれている人の思い出を残念なものにしたくないので(そうなったら自分が泣く)ドレークはお茶を濁すようにして、を左肩に担ぎ上げた。

「さて、とりあえず君の服と、遅めの昼食を外でとろうと思うんだが、問題はないか?」

尋ねてみれば、肩の上の黒髪の少女は素直に頷き、礼を言うようにドレークの帽子を軽く叩いた。








+++








バタン、と乱暴にクザンの執務室の扉を開けたのはベガバンクの素敵実験に散々つき合わされ終わる気配もなく、しかしの急な連絡を受けて一人戻ってきたサカズキだ。珍しくスーツの上着を着ておらず、シャツにズボンだけという姿。どんだけ急いできたんだとクザンは突っ込みたかったが止めた。あとで扉の請求証を送ろうと思うだけに留め、サカズキが入室したことで不安そうだった顔を輝かせるを眺める。

「サカズキ…!!あっちの大将殿にバレずに済んだ…!?」
「最善は尽くしたが、もう一人のわしじゃけェ、バレるんは時間の問題じゃろう」
「…ちなみにサカズキ、ぼくに何かあったらどれくらいで気付く?」
「一秒もいらん」
「そんな絶望的なこと言わないで…!!!!」

普段なら顔を赤くするところだが、今は状況が状況なだけに青くなる。そういう奥さんの様子も愛しいとばかりにサカズキは眼を細めてその頭を撫でるが、はそれどころではない。

はまだちゃんとこっちの食べ物を3回食べてないんだよ…!!!いくらトカゲのいかがわしい勝負服を貸したからって、こっちの世界に馴染んでないんだから、ヘタすれば消えちゃうんだよ…!!」
「へぇ、そうなの?厄介なんだね、異世界トリップって。あっちのサカズキは平気なの?」
「あっちの大将閣下はこっちにサカズキがいるから、「異世界の自分」で済むんだよ。でもはこっちにはいないから、ちょっと面倒なの」

なんだかややこしいことになるらしい。どうやらこちらの世界に存在しない人間がこちらにいらっしゃった場合、馴染ませるのに相当の努力がいる。そのためトカゲ中佐の衣装やらが調合したシャンプーやらを使っていたらしいが、まだ完璧ではないそうだ。馴染めば元の世界に返すのもいくらか容易くなり、それが三日はかかるという。まだ1日目、が傍にいなければどうなるかわからない、というその状況。

「わしは…わしがおらん間に妻になんぞありゃァ、関わった者全員に責任を取らせて溶かす」
「ハイ、そこ物騒なこと言うな!!!」
「サカズキが言うと信憑性がありすぎるから止めて…!!」
「じゃがのう…燃やすんは、あちらのわしにゃァ、不可能じゃァ」

落ち着いてサカズキが冗談にならない言葉を言う。それにクザンとが鋭く突っ込めば、サカズキ、珍しく愉快そうに目を細め、頬杖を突く。

「なんで?」
「先のベガパンクの実験で奇妙なことが発覚した。聞きたいか?」
「お前本当、Sだよな」
「黙れ」
「サカズキ、なぁに?」

が素直にサカズキを見上げて小首を傾げれば、歩くR指定、籍入れてなかったら犯罪者(自覚皆無)の正義の大将、の顎を掴み自分に引き寄せ、片腕でそのまま腰を抱き膝の上に乗せる。だから目の前でイチャつくんじゃねぇええ!!と、クザンは握っていたエンピツをぼぎっと手折り、接近してやや顔の赤くなったは可愛い!!と思うことで何とか怒気を収めサカズキの言葉を待った。サカズキは、だから本当セクハラだからそれ!!と思われるような行為をしたあと(つまりの尻を触った)が火傷せぬように細心の注意を払いつつ、自分の手をマグマに変える。

「今のあの男は、悪魔の能力が使えねェ。池でも溺れねェで動けたじゃろ?」

ぽたり、と垂れたマグマがソファを焼いた。あとで扉の弁償代と一緒に請求してやるとクザンは固く誓った。





+++





「代金はこれで頼む。今着ている分はこのまま着て買えるが、後のものは宿に届けてくれ。手間賃は出す」
「いえいえ、こんなにお買い求めいただいてありがとうございます。是非ともまたご贔屓に」

にこにこと機嫌のよい店員はふんわりとした髪をふわふわと揺らしながら何度もお辞儀をした。仕立て屋の一階にあるマダム・ムーアのブディックは子供服の扱いが多く、またデザイナーには珍しく美食の街でデビューしたという彼女の見立ては完璧だった。

は鏡の前に立ち、困惑したように眉を寄せる。なんというか、こちらの世界に着てから自分は着せ替え人形になっていないか?そういうテーマなのか?と誰に対してかわからないが問うてみたい。鏡に映っているのは真っ直ぐな黒髪を今はゆるくカールさせワインレッドのリボンで高く結い上げた少女の姿。(このワインレッドのリボンは先ほどまで来ていたドレスの布である。腕と首にも巻きつけている)

なぜ、あの突然部屋にやってきた女性が放った光でディエス・ドレークの船に落ちたのか、そしてまるでのように幼い外見になってしまったのか、それはにはわからない。だが幸いなことに「あぁ、の仕業か」と納得してくれたX・ドレークが傍にいる。の世界にもドレークはいて、顔見知りだ。海賊になったため「親しい間柄」というわけにもいかないが、少なくともどういう人間かの判断は付く。こちらのドレークもそっくり同じというわけではないのだろうが(の世界のドレークは子育ての才能があるとは感じなかった)基本的な人間性は同じはず。警戒せずとも大丈夫だ、と、そうは判断し、自分よりはやこの妙な状況に対しての理解があるドレークに今は任せようとそう思った。

そうしてつれてこられた、子供服の店。着せられたのは白いボーダーの入った襟の紺色のワンピースに白のソックス。靴は紺のエナメルで白い花が飾られている。紺の帽子は黒いリボンとやはり白の花。他にもどれくらいがドレークの船で過ごすことになるか知れぬのでパジャマや下着も買った。きちんとした店で、しかも子供服ともなれば中々値が張る。元の大きさになったら不要になるからそう買わないで欲しいとは頼んだのだが、ドレークは「着れなくなったらにやってくれ」というだけで取り合わない。そういう奇妙なところで頑固なのは自分の世界のドレークにも言えることで、は諦めることにした。

それにしても、鏡に映る子供の姿の自分、というのは、なんというか、不気味だ。奇妙、なのではなくて、不気味。なんと言えばいいのか、は今すぐ鏡を叩き割りたくなる。しかし、そうすれば店の人は困るだろうし、ドレークの親切も無にしてしまう。なんとか堪えようと手を握り締め、あまり強く握ったので血が出た。

、次は食事だ。……どうした?」

マダムとの会話を終えたドレークがを振り返り、そして眉を寄せる。マダムは奥の部屋に引っ込んでいる。ドレークは無言のままのと目の高さをあわせるべく膝をつけ、顔を除きこんだ。

「どこか痛いのか?それとも何か嫌な思いでもしたか?」
「そんなこと、ありません」
「そういう顔をしているときは、たいてい何かあったに決まっているものだ。話したくないなら、そうだな、次は花を見に行くか」

ドレークの言葉に首をふるを、ドレークはさして気にした様子もなく一方的に言って、そしてまたひょいっと、を抱き上げた。抱きらげられ当たり前のように肩に乗せられては何か、奇妙な気味の悪さを覚える。ドレークに対して、ではない。自分自身の、中の、何か、だ。

(……金網の向こうの、)

ゆっくりとドレークが歩き出す。はどこかに捕まろうと反射的に手を動かしたが、しかし、ドレークの帽子、肩、マントに触れれば先ほど切った自分の手、溢れた血が付く。躊躇い、ふらふらと体を揺らしていると、ドレークが外の景色、港町のはるか先の地平線を指差した。

、すごいな、水平線があんなに真っ直ぐだ。船に乗っていれば当然のように見るが、丘の上だと何だか違って見えないか。きらきらと光っている。太陽が沈む、夕日も美しいと思うが、俺はこの時間の海が好きだ」

丁度時刻は三時を刺すらしい。この島の大時計が15回打つ音を聞きながら、もその指先の地平線を見つめる。キラキラと白と黄色の光が輝く海である。真っ直ぐに眺めて、そして、は気分が悪くなって口元を押さえた。そのまま自分の体を支えることも出来ず、ぐらり、と、落下しかける。

「……!?」

慌ててドレークがその体を受け止め、頬を軽く叩く。だがはこみ上げる吐き気と、それに悪寒で満足に答えることができない。これは、の言った体の消失ということか?それとも子供の体にされたための副作用か?いや、違う。そのどちらでもないのだとにはわかった。これは、自分自身ことだ。何か、しらの。

(8歳のころ、9歳のころ、私はこんな風に景色を見たことがなかった)
(子供のころ、こんな風に、大切にしてもらったことがなかった)

あのころの、ことを思い出す。あのころの、ことを。この体は思い出させる。鏡に映った自分の姿。格好や髪型は確かに違う。だが紛れもないあの頃の自分が鏡に写り、実際のところは、そんな格好はしなかったのに、今は出来ている。幼い子供の自分が、まるで父親に愛された娘のように愛らしい格好をしている。その、差異がを混乱させた。普通の人間は過去の自分の姿になどなれはしない。それであるから、の記憶にはこれまで「あの頃の自分」しかいなかった。それなのに、今、今日、この姿になったため自分は「愛された姿の9歳の自分」の記憶が出来てしまった。それが、意識の中で奇妙な、不気味な、衝動を起こしている。

(サカズキ…!!!サカズキ、サカズキ、サカズキ!!)

あの人がいれば、こうはならない。あの人がいれば、己は今のこの姿も、ただの一つの現象なのだと割り切った。サカズキはにとって「現在」の象徴だ。自分自身がはっきりとした己を持ったのはサカズキがあってこそのもの。それが今はいない。傍にいるのは、知っているのにまるで知らぬ人。ドレークは、の知るドレークはこのような、穏やかな声で、子供を愛しむ人ではなかった。真っ直ぐに、正しいことを正しくしようとして苦悶の表情を浮かべるような人だった。それであるのに、今このドレークは、ディエス・ドレークという、の世話をしたことがあるという元海兵、現在の海賊は、困っている子供のためならどんなことでもしようという覚悟のある顔をしている。そういう人が、の傍にいてくれて、そして、海が綺麗だと、そう言うのだ。

ぐいっと、は唇をかみ締めた。ドレークが悪いわけではない。この体にしたあの女性が悪いわけでもない。この世界来るきっかけとなったが悪いわけでもない。それはわかっている。それなのに、は今油断をしたら、何かを叫んでしまいそうだった。それが、三人の名なのか、それとも、サカズキの名なのか、それはにもわからない。だが、誰の名を呼んでも、自分は絶望するのだと、そうわかっていて、それで、ぐっと、唇だけでは堪えきれぬので、己の指を噛んだ。




Fin


・共演でここまでやって大丈夫か心配です(真顔)
(2010/06/28 19:35)