「誠に申し訳ありませんでした」

到着した屋敷。門番もいないのアーチをくぐって本邸の扉をノックし出てきた家令に取り次ぐと、サカズキとは応接間に通され、そして表れた壮年の紳士に丁寧に頭を下げられた。

サカズキとそう年齢は変わらぬだろうに髪にやや白いものの混じったその紳士、この屋敷を保有する富豪一家の次期当主であり、当主長男であるという。クラウス・スミス、と名乗ったその男、もちろんサカズキが大将であることを知っているし、今回この島で一週間保養することも知っている。バスカヴィル卿からたっての頼みであるという栄誉に異存はなく二人の滞在が快適に過ごせるようにと依頼を受けてから屋敷の改装までした程だと熱を込めて語るのだが、サカズキが聞きたいのはそんなことではない。

「そちらで使用するとは聞いちょらんが」
「はい、閣下。お二人が滞在される期間は当家がこの屋敷を使用する予定がなく、だからこそお引き受けしたのです。しかし、父が、」

僅かに言いよどむクラウスにサカズキが眉を跳ねさせた。この島の持ち主はゴードン・スミス。一代で財を成した「成り金」とも陰口を叩かれているが中々のやり手で数々の武勇伝を残している男である。サカズキも噂は聞いていた。現在は八十を越える高齢でありながら未だ当主の座についている老獪な人物のようだ。

「ご当主がなんぞ言い出したか」
「……急にこの島で親族の集まりをすると言い出しまして。もちろん閣下がご滞在することは申し上げたのですが、一度決めたことを取りやめることを父はしませんので」

急遽一族が集められた。サカズキとが利用するはずだった馬車は次女一家の幼い子供が山道を歩くのはいやだとダダをこねて無理を言って使用したのだという。

再度頭を下げるクラウスにサカズキは顔を顰めた。

「仔細はわかったが、なぜ当主が顔を見せねぇ。筋っちゅうもんがあるじゃろうに」

そもそもアーサー卿とやりとりをしたのがこのクラウスであるというのがサカズキには妙に思える。保養地の管理を任されているのが長男クラウスであるのかもしれないが、最終的な責任は当主が負うべきだ。なまじ当人の思いつきで始まったこの事態なら当人が説明をすべきである。

そうサカズキが主張するとクラウスは厳しい顔に似ず実は気弱な性質なのか僅かに萎縮して、言葉を詰まらせる。

「ご当主さまはご高齢のため体調が優れずお部屋からお出にならないのです。慣れた海路とはいえグランドラインを航行したのですから暫く安静にするようにと主治医の方がおっしゃっていましたわ」

その当主代理に助け舟を出したのはそれまで黙って隣に座っていた美貌の女性である。細君であろうというのがわかる揃いの指輪。背筋をぴんと伸ばす様子から自尊心の高さが窺えた。サカズキが思わずの好みそうな人種だと思っていると、やはり予想通り、大人しくしていたはずのが顔を上げにっこりと笑った。

「それなら仕方ないね。元々無理を言ってこの屋敷を借りようとしたのはアーサーのほうだし。きみたちが使うというのならぼくらはゲストルームで十分さ」

別にサカズキとしても滞在できるのならどこでも構わなかった。だがけじめとして理由の説明くらいはきちんとすべきと思ったのだけれど、こうもがはっきり「これ以上の追求は野暮」としたのなら聞き出すのも面倒である。

富豪の一族、何ぞ事情があってのこととうっすらわかる。だがそれに関与する理由というのが今のところは見当たらず、サカズキはほっとする夫婦夫妻に部屋の案内と、が足を捻ったので処置する道具を頼んだ。




++++




「ふふ、ふ、ふふふ、なんだか面白そうなことになってきたね、サカズキ」

ぽすん、と案内されたゲストルームのベッドに飛び込んでは上機嫌に口を開く。当初この屋敷を貸しきる予定であったのだが、先の事情により母屋はスミス一族が使用する。そのためとサカズキは離れをあてがわれたのだけれど急遽用意されたにしては上等だ。ベッドが一つしかないのはいろいろ身の危険を感じなくはないけれどいつものようにお守り役がいないこの旅行中、大将赤犬が魔女の身の保護を徹底せねばならぬわけで、寝所を別にせぬのは道理であるといえば道理でもあった。

こちらの問いかけに上着を脱いでいたサカズキが顔を顰める。

「おどれが面白がるようなことなんぞロクでもねぇことじゃろう」

柔らかな羽毛布団の感触を楽しみにこにことしている魔女の話など聞きたくはない。だが何ぞ妙なことになるようなそんな予感がサカズキにはあり、予備知識として入れておくべきとそう判断をしたらしい。ギシリとベッドをきしませ、寝転がるこちらの首に手をかけて厚着したマフラーやコート、セーターを剥いで行く。

いきなり何すんの!?と一瞬焦る心が生まれるが、その手つきにいやらしい感じがなく別段情交の準備というわけでもないらしいのでは抵抗しないでおいた。

「ここのご当主ゴードン・スミス氏には黄金伝説が付きまとっているんだよ。知ってた?」
「ジャヤの黄金伝説よりは信憑性はあるが、まぁ眉唾な話じゃろう」

ジャヤ、と口に出した瞬間の体が強張る。ジャヤ、ジャヤ、黄金伝説。嫌な思い出がある。湧き上がってきそうなそれには反射的に蓋をして、何も思い出さなかったように話題を続ける。

「ゴードン氏はねぇ、どこからともなく大量の黄金を手に入れて今の地位を勝ち得た。まぁ、噂じゃ魔女と契約したとかなんとか言うけど、悪いけどぼくはゴードン氏と面識はないね」

ついでに言えば「薔薇と林檎」それに「黄金」を司る魔女は夏の庭の番人であるはずだった。もちろんはそんな大昔の、それこそ伝説級・お伽噺の魔女になんぞと面識はない。彼女はもう随分前に死に絶えていると聞くので関与してはいないだろうと請合って、ゴードン氏の黄金伝説に魔女は関わりないはずだと判断した。

「でもさ、サカズキ、まぁ、魔女の方はないとしてもどこからかある日突然大量の黄金を手に入れたっていうのは本当だと思うけどね」
「なぜそう言い切る?」
「だって今から60年くらい前に不自然に変動したからね」

60年前といえば己はまだロジャーに出会う前だ。いろいろあってとある島にて引き篭もっていたけれど、それでも完全に世との交流がなかったわけではない。紙幣貨幣に頼る身ではなかったは金銀宝石類には随分世話になった。それで、確か60年前は急激に金の価値が動いたのだ。

「もちろん大事になるほどじゃァなかったよ。でも、そうだな、時々あるんだよね。たとえば沈没した貨物船がサルベージされたり、あるいは遺跡から純度の高い黄金が発掘されたときとかね。金山とかで採掘されて増えたって一定量を守っているはずの金の量が不自然に増えた」

そういう些細な変化であったが、は感じ取った。己の領分はルビーであるがなんとなしに黄金についても感知するらしい。
それで、その黄金の増えた時期とゴードン・スミス氏が成り上がった時期が重なっており、こうして思えばその黄金伝説が生まれたのはあの時なのだろうと振り返れる。

「一体どういう手段で得たのか知らないけどね、そういう一寸いわくつきのゴードン・スミスという人物。予定は少し変わっちゃったけど、休暇中の出会いとしては面白いんじゃないかなって」

気付けば下着姿一枚になって首元が顕わにされていた。傍にサカズキがいるのと暖炉に十分な薪がくべられていることもあって寒さは感じない。冬島に来たのに寒さを感じないって情緒的にどうなのだろうかと贅沢な疑問を覚えつつ、はぎしりとベッドを軋ませて覆いかぶさってくるサカズキを見上げた。

「……したい、わけじゃないよね?」
「本調子じゃねぇおどれに相手をさせるつもりはねぇ」

到着したから一回やっとく、とそういう雰囲気ではやはりない。危機感も覚えない。しかしもしかしたら男性というものは「したい」という雰囲気を出さずに情交を始めることもあるかもしれないとにしては気をつかって問うてみると、何やらサカズキの顔が不機嫌になった。

こちらの言動に対して機嫌が悪くなったのではない。はとりあえず包帯を外されたため血が溢れてくる首、折角整えられた寝台を汚してはいけないと思って手で押さえようとしたが、その手はサカズキに掴まれる。

「…なぁに?」
「……痛みはあるか」

手を払われ、代わりにサカズキの大きな手がのほっそりとした首に触れる。サカズキがを捕獲する際冬の薔薇によって戒めた。もう随分前のこと。今ではすっかりこの身にあるのが当たり前になっている冬薔薇は無理に力を使用、あるいは詩篇に喧嘩を売ると報いを受ける。

今更ではあるが、改めて、は「目の前のこの男が私の肌に刻んだのだ」と思い出して妙な気分になった。
刻まれた時はこの男に対して強い敵意と殺意、それに屈辱を覚えたというのに。

「そりゃ痛いんだけど、今は、サカズキのその眉間に寄った皺がどうすればなくなるか、そういうことを考えてばっかり考えててあんまり気にならないよ」
「………始めて構わねェな?」
「なんで!?今相手させないって言ったよね!!?」

真面目に答えれば真面目な顔で確認された。は「えぇえええ!?待って!」と腕を突っ張り一瞬サカズキが怯んだ隙に体の下から逃れる。

「まァ、言うには言うたな」

っちと舌打ちをしてサカズキはそのままどっかりとベッドに座り込む。「舌打ちしやがった!」とは顔を引きつらせ、血で絨毯を汚す前に包帯を巻いてしまおうと包帯を持っているサカズキに手を伸ばした。

「巻いてやるから来い」
「今行くのは無謀な気がするよ!」
「来なきゃ機嫌は悪くなるぜ」
「うっわ、何大人気ないこと堂々と言ってるのさ!」

しかしそういわれてはどうしようもないとはため息を吐いて寝台に行こうとする。と、丁度タイミングよく部屋の扉がノックされた。再度サカズキの舌打ちが聞こえたのは聞かなかったことにするとして返事を返すと、どうやら頼んでいた捻挫処置のための道具を持ってきてくれたらしい。

「おや?っていうか、あれ?今の声って」

扉の向こうから聞こえる声にが首を傾げると、ベッドの上のサカズキがため息を吐いた。

「アーサー卿がここを手配したっちゅうことは、まぁ、そうなるじゃろうのぉ」
「それならディエスが来ればよかったのにね、っていうかマリアちゃん暇なの?」
「暇じゃねぇよ!料理修行で忙しいんだよ!なんで俺がお前の面倒ごとに巻き込まれなきゃなんねぇんだよどチクショウ!!!」

呆れる二人の声に扉の向こうにいた人物、ばんっと大きな音を立ててご開帳、額にうっすら青筋を浮かべて声を上げた。

柔らかな金髪に白いリボンをつけた、食堂のマリアちゃんことセシル・ブラウンの登場である。

なんだか最近妙に出番がある気がするがそれはそこご愛嬌。そんなことはさておいて、マリアは部屋の中を一瞥し「うわっ」と一度顔を引きつらせると(おそらく「今から始める気だったのかこのバカッポー」という心境)の肩をぐいっと自分の方に引き寄せた。

「っつーか何?お前マジであの大将とヤってんの?死ぬだろ普通に」

一応話が話なだけこそこそっと小声。何を今更と思わなくもないが改めてこうして知人(悪友)に事実確認されるとも苦笑いを浮かべるしかない。

「いや、まぁ…ぼくじゃなかったら死ぬと思うけど。ってなんでマリアちゃんに心配されてるの?ぼく」
「別に心配してねぇよ、ただ人間としてどん引きしただけ」

それもそれで失礼である。

とにかく、とマリアは気を取り直したようで手に持った治療道具を広げの足の具合を確かめる。「捻ったのかよ、どん臭ぇな」と容赦のない言葉にがイラっときて何か暴言を返そうとするが、それを察したサカズキが「治療中じゃァ、大人しゅうせェ」と命じて罵りあいは回避された。

一応海兵であるマリアだが戦う役職ではないため補佐をできるようにと医療知識があるようで、丁寧に診察をしつつ包帯を巻いて行く、が、結び終える前にその手が止まった。

「どうしたの?マリアちゃん」
「いや、っつーかさ、お前風呂入りに来たんだろ?ダメじゃね?」
「……え?そうなの?」

温めたら効果ありそうだけど、とが首を傾げると後ろでサカズキがため息を吐いた。

「腫れちょる間に温めるなんぞ自分で悪化させるだけじゃのう」

捻挫は靭帯の損傷と内出血から起こるもの。温めて血行を良くすれば痛みが増す。サカズキやマリアからすれば常識極まりないことだが、普段怪我をしても即座に修復、という人間離れした魔女はそういう知識が欠落している。おやまぁ、と不思議そうな顔をして自分の足首を眺めた。

それを見下ろすマリアはに呆れるより、正直赤犬に呆れる気持ちが強い。

あえて口には出さないが、捻挫というのは負ったその場での応急処置次第で回復期間が決まる。大将赤犬、立派な海兵。自然系の能力者であるがそれでも料理人なんてやっている自分よりこういった知識は豊富だろうとマリアは考え、その上で「この大将、あえて放置しやがった」と判断したのだ。

理由など決まりきっているのだがマリアはそこまで考えたくない。(まぁ明らかにの行動範囲を制限するためだろうが)もうお前ら好きにやれよバカッポーと今すぐマリンフォードに帰りたい。今回ドレーク少将はのお守りから外されているらしくそれなら食事に誘ってもいつものように邪魔されることはないのに、折角のこの機会はやはりによって邪魔された。

「おやまぁ、残念だねぇ。折角温泉目的で来たのに」
「2,3日で腫れは収まるじゃろう。傷を治すんはそれからでもえぇ」
「ま、一週間もあるしそれはそうなんだけどねぇ」

としては一週間も見知らぬ島に滞在するのだからあちこち探険してみるのも面白かろうと考えていた。その目論見が外れて残念そうにするが、サカズキが「怪我を負ったんはおどれの失態じゃけェ、大人しくしちょれ」とにべもない。

マリアはなんだかもういろいろ突っ込みたかったけれど、無駄なので止めておいた。

「セシル・ブラウン」

さっさとこの部屋から出て夕食の準備に取り掛かろう、そう決意するマリアの背にサカズキが声をかけた。マリアは自分の名前であるのに普段あまりに呼ばれないので(の所為で!)反応に遅れ、ややあって「えっと、はい?」と振り返った。

「当主には会ったか?」
「?いえ、俺は下っ端ですからね。ご長男のクラウス様と奥方様にはあれこれ指示を出されますが、まだご挨拶はさせて頂いてませんよ」
「使用人の規模は多いか」

妙な質問である。確かに今回あちら側の都合によりサカズキたちの予定に変更があった。だが赤犬は「挨拶をさせろ」とは言わず、「マリアが会ったかどうか」というのを第一に聞いている。

不審には思いながらも上官に問われたことには明確にとの海兵としての心構えを思い出し、マリアは居住まいを正す。

「いえ、私を含め使用人は2名です。私と同年代程度の少女がキッチンにおります」
「おどれを合わせても2人じゃと?」
「はい、閣下」

明らかに赤犬の眉間に皺がよった。の世話をさせるのにその人数か、という怒りなどではないのはマリアにもわかるが、といってどういう意味のものなのかまではわからない。長い付き合いのなら察しているかと思いそちらに視線を向けると、大将赤犬に沿う悪意の魔女殿は移動の疲れのためかいつのまにかベッドに横になって寝息を立てている。

あいつマジで使えねぇ!!などと無礼なことをマリアは胸中で叫んだ。

事情はわからぬが赤犬が何か妙に不機嫌になっている。マリアはさぁ自分の次の行動はどうするべきか、赤犬が判断する前に自らで考え行動することにした。

「御用がなければ私はそろそろ、夕食の仕込みに戻らせていただきます。魔女殿のお怪我のこともありますので、お食事はお部屋にお運びするようにとクラウス様より仰せつかっておりますが、よろしいでしょうか?閣下」
「……セシル・ブラウン、一時の身はおどれが守れ」
「……はい?」

面倒な事態が起きる気がすると早めに判断して切り上げようとしたマリアの折角の機転も赤犬のとんでも発言でおじゃんになった。

こちらの質問に対しての答えではない言葉にマリアは顔を引きつらせ、「今なんつったこのオッサン」と赤犬を見上げる。

「少し部屋を空ける。わしが戻るまでおどれがを見ていろ。魔女に面した海兵でありゃァわかっちょると思うが、これに毛ほどの傷も付けさせるなよ」

いやです無理です死んでもごめんです、とマリアが激しく拒絶する前に言いたいことを言うだけ言った大将殿、コートも羽織らずそのままスタスタと部屋を出て行ってしまった。

マリアは一人、いや、眠ると二人取り残され、とりあえず八つ当たりのためのベッドをがつんと蹴った。




+++++




「会えんとは?」

ドン、と最初から威嚇する気満々の態度で言い放てば、気の弱い性質なのかクラウン氏は一瞬顔を引きつらせ、しかし気丈に振舞おうと胸を反らせた。

「いえ、ですから…父は体調が優れぬのです。ご用件は当主代行の私がうかがいます」
「挨拶もできんほど弱っちょる老人がグランドラインの航路を耐えられるたァ思えんがのう」

じろりと見下ろし、サカズキは目を細めた。

妙な疑問は当初からあるにはあった。仮にもあのアーサー卿が手配したこの島での滞在時間だ。万に一つも間違いなどあろうはずがない。それがこうも「持ち主の一族が急遽使用することになった」「馬車(移動手段)が奪われた」となったこの状況は奇妙極まりない。

サカズキはこの一族のお家騒動やらなにやらなら口出しする気はなかったけれど、マリアの言葉から妙な胸騒ぎがあった。

そしてこの屋敷内には人の気配が少なすぎる。元々使用人が数名いたはずであるのにマリアは自分を含めて2人しかいないという。都合がつかず暇を取っているのならアーサーがマリア以外に何名か派遣しただろう。だがアーサー卿は「マリア一人で十分」と判断した。ということは、元々10人〜20人の使用人は置かれていたはずだ。万事魔女のためなら手を尽くす男。正式に使用人としての訓練をつんでいないマリアをの遊び相手のために送った=屋敷を動かす人手は足りていた、と、そうなるはずである。

ではその本来いたはずの使用人たちはどこへ消えたのか?

そして馬車が待機しているはずの場所に落ちていた煙草の吸殻、あれは誰が吸っていたものだ。マリアはもう一人いる使用人は「少女である」と言っていた。偏見ではあるが少女が煙草を吸うとは考えにくく、では誰が馬車を引いていたのだ。

これだけで悪であると決め付けるほど一方的ではないけれど、不審点がある。

何ぞ魔女を狙った企みか。いや、それに気付かぬバスカヴィルではなかろう。見落とす、そんな可愛げがあるのなら世界政府はとっくに息の根を止めることに成功している。

サカズキは謎解きをする気はなくストレートに「事情を説明しろ」と姿を見せぬ当主に詰め寄ることにしたのだが、それをこのクラウスが阻んでいる。

2人がいるのは当主の部屋の前。部屋の中には人の気配がある。そのため「実は当主はいない」という展開はないだろう。妻、あるいは第三者/2人目の使用人が入っている可能性もあるが、なんぞ悪事に関係することがあるのならサカズキはこの屋敷ごと焼き払う心積もり。(ちょっと待て)だが焼いて解決という単純なものでない場合もあるのでこうして状況の把握を試みている。

「……」
「黙秘が有効な相手かどうかくれぇ判断は付くじゃろう」

一向に口を開かぬクラウス・スミス。ぐっと眉間に皺を寄せるその様子にサカズキは容赦なく言葉を続けた。そのはっきりとした威嚇にぴくり、とクラウスの体が震え額に脂汗が滲んできた。

明らかに強者と弱者が決定している。サカズキはこのまま威嚇を続ければ恐怖に耐え切れずクラウスが口を割ると確信した。それであるから後に取る手段としてはクラウスの退路を見極めることである。扉の前に立ったクラウスが逃げられるのは当主の部屋のみ。しかし中へ逃げ込もうとすればサカズキもそこに続く。今はまだ乱暴な手段は取れぬが(相手は名士であり、一応現在自分たちは客であるという立場をわきまえて)相手が「尋問から逃亡しようとした」となればサカズキは海軍海兵の義務の範囲で部屋の中まで追尾することができ、そうなれば謎の含まれた当主部屋を暴くことができる。

そのサカズキの思惑に当然クラウスも気付いている。それで唇を噛み締めサカズキの脇をすり抜けて脱げられぬかと探るような目をするが、海軍大将を出し抜けるわけもない。

さてこうまで必死に隠そうとする、その「何か」とは何であろうか。サカズキはふと興味が沸いた。下手な言い訳をしてくるかと思いきやクラウスはそういう様子はない。サカズキが「何か企んでいるのだろう」と出せばそれを否定はせぬのだ。いや、それはクラウスが大物だからというわけではなくて、逆に小心者であるからだろう。

サカズキの態度が無遠慮、堂々としすぎているということもあろうが、クラウス・スミスは「もう何もかもこの男は気付いている」とそう早合点しているのである。そのため言い逃れや嘘の話をべらべらとする余裕もなく、ただ「この場から逃げなければ」と頭にそれだけを思っている。

さてこの状況、いつまで続くものかと思いきや、状況はサカズキには不都合な形で変化した。

「いかに海軍本部大将閣下といえど、夫への狼藉は許しませんよ」

キィと扉がゆっくりと開かれた。当主部屋から出てきたのは先ほど応接間にて面したクラウスの妻である。きりっとした顔立ちにはっきりと怒りの色を浮かべてサカズキを睨む。

「ご当主様はお疲れなのです。元々お歳でお体も不自由な方、複数名の使用人の世話を必要としているため屋敷の人手を割くことになりご不便をおかけしているとは思いますが、この屋敷の持ち主はご当主様です。主たる者のお体を第一に考えるべきではありませんか」

語り、いっそサカズキを無礼者と詰る夫人の後ろから5,6人の青年がぞろぞろと出てきてこちらに頭を下げ去って行く。みな揃いのチョッキ姿で規則でもあるのか同じ髪型をしている使用人たちである。体の不自由な老人の世話役にこれまで部屋に篭っていたのだと夫人は短く説明した。

「……」

部屋の中に2人以上の人の気配などなかった。

だがこうして現れた。これはどういうことだ。サカズキは自分を睨みあげてくる夫人を睨む。この旅にクザンでも同行していたのなら女性相手にのらりくらりと気安い言葉を投げて多少なりとも警戒心を解き必要な情報を引き出せるのかもしれないが、生憎サカズキにそういう才能はなく、また夫人は現時点でサカズキを完全に「敵」とみなしている。そういう目をしていた。

悪の可能性があるのなら全てを根絶やしに、というのがサカズキの昔からの信条。だが「どのような悪か」とそれすら判断つかぬ段階で行使すればそれはただの暴力である。一見容赦なく過激に何もかも焼き尽くしているような大将赤犬であるけれど、彼には彼なりの「条件」があった。

この己を恐れず怯まず睨み返すその強い瞳にサカズキは目を細め、くるり、と踵を返す。その背に夫人が「逃げるのですか」とでも投げれば返す言葉もあったが、夫人がサカズキに投げた言葉はなく、ただ聊か不躾な言葉を投げたと詫びるための(社交辞令ではあろうが)一礼のみであった。

なるほど、夫クラウスは小心者であろうが中々妻の方は強かである。









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