「なんかサカズキの機嫌が悪くなってるような気配がするんだけど!」
「何だよその具体的な気配」
妙な電波(?)をキャッチしたはがばっと跳ね起きて、そしてあたりをきょろきょろと見渡した。
「うわぁお、なんかホラーだね!マリアちゃんそれ怖いよ!」
「煩ぇ…!俺だっていろいろやることあるっつーのになんでお前のお守りなんか…!!せめて包丁の手入れくらいさせやがれ!!」
薄暗い部屋の中でカーテンの隙間から漏れる明かりを頼りに包丁研ぎをしているマリア、ふるふると怒りに震えながら言い返してくる。は当然そんな相手の不運など気もせず、サカズキの姿が見えないことに不安を覚えた。
なんとなくサカズキの機嫌が悪そううんぬんというのもあるが、それよりもが飛び起きたのにはもう一つ理由がある。
(今この屋敷で、魔女の道具が使われた)
はっきりとした気配。この島に来たときの違和感を思い出す。が足を一歩島につけた途端にゾワリとした悪寒。あれはこの島に魔女が根付いているということだったのだろう。
それもにとって「格下ではない」相手である。そうでなければ寒気など感じない。その上使用された能力はどんな童話のものかまだわからないのが不気味だ。「くるみ割り人形」や「錫の兵隊」にも似ているが、それらはの魔女の部屋にしっかり収拾されている道具。同じ童話を共有する、ということはまずありえない。悪魔の実が1種類1つしか存在せぬのと同様である。
さて、この己がはっきりと存在に気付けず、また能力を特定できぬ相手、それがこの島にいる。は顔を顰めてベッドから降りると相変わらず傷の塞がらない首の具合を確かめた。
「マリアちゃん、ちょっと外出しようよ。温泉行くよ、温泉」
「はァ?お前何言ってんの?何言ってんのマジで」
詩篇の報復は深い。無理できぬわけではないが、魔女がこの島にいるというのなら早めに体調を万全のものにしておいたほうが無難であろう。そう判断し例の「秘湯」につかろうとマリアを誘えば金髪の美少年が顔を顰めた。
「大将赤犬が戻るまで大人しくしてろよ」
「そうしたいのは山々なんだけどね、たぶんサカズキはすぐには帰ってこないだろうし、それに一寸いろいろ急いだほうがいいかなって思って」
「捻挫は?」
「首の傷さえ塞がれば通常の怪我はウンケの屋敷蛇で治せるんだから気にしなくていいかと」
そもそも普段であれば足を捻った程度の怪我は即座に修復されて問題にならない。それが今回は首に詩篇の報復を刻まれている、ということで修復されずにいるのだ。捻挫は温めてはいけない、という常識は学ぶには学んだけれど、首さえ治せばそんなことは自分には関係ないとは胸を張る。
「相変わらずチートっつーか化け物じみてるっつーか」
その開き直ったにマリアは一瞬嫌そうに顔を引きつらせたが、不気味だと非難したところでこたえるでもない。ため息一つついて、さてどうしたものかと思案する。
「お前の怪我がとっとと治ればお前の面倒をあれこれみずに済むからおれに都合がいいっちゃ良いんだよな」
「ぼくをまるで省みないマリアちゃんがとても好きだよ」
「うるせぇ。んで?赤犬がお前のいない部屋に戻ってブチ切れたらどうすんだ?」
マリアは(承諾した覚えはないものの)赤犬から魔女の身柄を一時的に預かっている。保護する義務ができてしまっているのでできる限り部屋から出さぬほうがいいのだろうとはわかっていた。だが「身を守れ」と命じられはしたものの「部屋から出すな」とは言われていない。その辺を吟味してマリアは「なら怪我を治させて面倒ごとを遠ざけたほうが俺には得」と勘定をした。
あとはが勝手に出て行けば確実にキレるだろう赤犬をどうするか、という問題である。
「普段だったらぼくの代わりにディエスが蹴られてくれたりクザンくんがぶん殴られてくれたりして解決なんだけど、サカズキはきっとマリアちゃんに手は上げないだろうしねぇ」
「おい何外道なこと言ってんの?お前、まじでドレークさんのことなんだと思ってんの?」
「ディエスはぼくの玩具だよ。まぁそれはどうでもいいとして」
よくねぇよ、とマリアは額に青筋を浮かべる。そして「この仕事から帰ったらドレークさんにがいかに外道か伝えてなんとか目を覚ましてもらわなければ!」と使命感に燃えた。
その間はあれこれと「自分が痛い思いをしない道」を探していたが、やはりそんな都合の良い展開はなさそうだと判断しため息を吐く。
「まぁ、怪我さえ治ればサカズキにちょっと溶かされても戻るし、今回はぼくが怒られるってことでいいよ」
普段からそうしろというマリアの殺気立った目をスルーし、は窓の外に顔を向けた。
「雪、まだ降ってないね。よかった。マリアちゃん、さっさと一風呂つかって戻って来ようね。ぼくはぼく以外の魔女がサカズキにちょっかいをかける可能性は根絶やしにしないと気がすまないんだよ」
++++
部屋に戻るため廊下を歩けば、角を曲がった途端水をかけられた。
「………」
一応名誉の為に言うがサカズキも海軍海兵。普段人の気配があれば角で見えずとも察知するし、突然水が飛んでくれば避けることは造作もない。
それがなぜ避けられなかったのかといえば、まず第一に「が起きる前に部屋に戻る」と考えていたことで聊か集中力に欠けていたことと、そして角からは人の気配がしなかった、ということが原因である。
といって自動的に水が飛んでくるわけもなし、サカズキがぽたぽたと水を無言で滴らせていると、バケツを足で誤ってひっくり返してしまったらしいメイド服の少女が蒼白になって顔を引きつらせ壁際にダッと逃げた。
パクパクと口を動かしているものの言葉らしい言葉はない。あまりの事態に声を失っているのかとサカズキは判じ、明らかに「失敗して」の状況らしい現在、目くじら立てて怒るようなことでもないと判断して袖で顔を拭う。
「怒鳴りゃァせん。怯えちょらんでなんぞ拭くものを寄越せ」
能力で乾かすことは可能だが、少女の目の前で体から高温を発し湯気を立てようものならさらに怯えさせるだろうという自覚があった。それで身動き取れぬ少女に助け舟を出す意味合いも含め声をかけると、少女がコクコクと勢いよく頷きタオルを取りにいこうとして、別のバケツに足を突っ込み盛大に転んだ。
「………」
「すいません、すいませんすいませんすいません!!!」
体を動かしたことで声も取り戻したか、しかし怯え具合は変わらぬ様であぁあああと顔を引きつらせ相当に混乱しながら少女がひっくり返ったバケツを直し、土下座してきた。
「……若い娘を床に這い蹲らせる趣味はねぇ。わしは気にしちょらん、顔を上げろ」
「あぁもうあたしったらどうしてこうなんでしょう本当すいません申し訳ありませんごめんなさいお願いですからクビにしないでくださいぃいいい!!!」
「……落ち着け」
言っても無駄だろうがとりあえず言っておき、サカズキはため息を吐いた。
自分は早くのところへ戻りたいのだ。マリアに任せはしたがドレークやクザンのように「何があってもを守る」と第一にしている者ではない。この妙なたくらみのある屋敷にあれを一人残すということがサカズキには気にいらず、苛立ってさえいた。(自覚しろこのバカッポーなどと突っ込んでやれる者はいない)それで、少女を放って部屋に戻ろうとすると、その足をがしっと、捕まれた。
「……なんじゃァ」
「お詫びを!!!きちんとお詫びをさせてください!!そしてどうかこのことは旦那様と奥様にはご内密に!お客様に汚水をぶっかけただなんて知られたらお給料減らされます!
「……告げ口なんぞせん。放せ」
「あぁあああ!!こんな広い御屋敷を一人であれこれしなきゃいけないのに御給料はすずめの涙ほどなんですよおおお!!セシルくんもいるけど他所の人だし結局あたし一人しかいないんですよぉおお!!お給料減らされたら病気のお婆さんの薬が買えなくなっちゃうじゃないですかぁあああ!!あぁあああ!!あたしってどうしてこう不幸なんでしょうか!!!!?」
足を振って振り払ってやろうかとちらりと思った直後、サカズキはぴくん、と眉を跳ねさせる。
「今なんと言うた?」
「!?え、えぇそうなんですよ!あたしには重い病気のお婆さんが、」
「そうじゃねぇ、おどれ、この屋敷を一人でまかなっちょるんか?」
いい加減騒ぐな、と睨めば少女がびくっと体を強張らせた。サカズキは先ほど見た使用人数名を思い出し、この少女の発言と比較し違和感を覚える。
あの男の使用人たちは当主の世話専門でそれ以外をこの少女が全て負担している、とも考えられなくもないがそれは不自然だ。
「使用人はおどれとセシル・ブラウン2人のみと、それは間違いねぇじゃろうな?」
「え、え?えぇ、そ、そうですよ」
「この屋敷にはもっと大勢が在中しちょるはずじゃが」
本来この屋敷に勤めているはずの使用人たちはどこへ消えたのか。それをこの娘が知っている可能性は低いが何か知っている人物であるので問うて見ると、少女は顔を曇らせた。
「皆は旦那様と奥様に暇を言い渡されました。やっぱり不景気なんですかね?あたしのお給料も危ないんでしょうか?」
いやですねぇ、とため息交じりに少女は呟き、しかしそこでこっそりと秘密を打ち明けるような素振りでサカズキを見上げた。
「あ、でも大旦那様の黄金さえ見つかればこの理不尽な不況でも乗り切れますよね!ずっと見つからなかったみたいですけど、奥様もいらっしゃるしきっと見つかります!なんたって奥様は魔女なんですから!」
+++
「寒いし足痛いししんどいしでぼく早くも面倒くさくなってきたよ!」
「諦めるの早ぇししゃがみ込むんじゃねぇしむしろそのまま凍死しちまえし」
ぽすん、と地面にしゃがみ込んで不平を垂れるの口調をマネてマリアは振り返ることもせず淡々と続けた。それでぶぅっとの頬が膨れる。
「甘やかしなよ優遇しなよ!ぼく一応偉いんだよ!」
「死ねよマジで死んでくれ」
ノンブレスで言い切った。マリアは今度は振り返り心底呆れた顔をに向ける。自分で言い出したことだろうと一瞥に含ませればは先ほどまでの「駄々っ子」という顔をすっと消し、つまらなさそうに立ち上がって肩を竦めた。
「ほんと、どうしてマリアちゃんにはぼくの反則的な好かれスキルが効かないよね。能力者じゃないから?ホモだから?」
「俺は能力者じゃねぇなんて言った覚えはねぇし同性愛者になった覚えもねぇよ」
ディエス・ドレークに懸想しておいて何を言うのか、とはころころと笑う。別段本気で駄々をこねたわけでもなく状況の確認(マリアと己の立場の再確認)を行っただけ。マリアはサカズキから「魔女を守れ」と命じられてはいるようだが、それで態度を変える気はないらしい。それがには好ましい。にんまりと笑って、痛む足を引きずりながらマリアと並んで歩く。
「お前さ、世界中のイケメンは全員自分に惚れるとか思ってね?」
「おや、マリアちゃんひょっとして自分で自分のことイケメンとか思ってるの?マリアちゃんはいけてるメンズじゃなくて萌えられる男の娘だよ」
楽しい道中、とは言いがたいがお互い本気でイラっと来るわけではない。アーサーの説明によれば屋敷から600メートル程離れた洞窟の中に奥地に秘湯があるそうだ。一応地図を貰っているマリアの案内でこうしてとことこ歩いている。800メートル、往復1,6キロなら行って帰ってくるのに一時間はかからない。ちゃっちゃと傷を治してサカズキがぶち切れる前に戻ろうとの足は自然と速まる。
「っと、ここだな、入り口」
「わかりやすく看板とか下げてくれればいいのにねぇ」
暫く歩けば蔦の覆う岩肌が見えた。鬱蒼と生い茂った森の中、いかにも秘湯がありそうな雰囲気ではある。は軽口を叩き洞窟に入ろうと一歩中に入り、ぴたり、とその足を止めた。
「どうした?」
「硫黄の臭いもするんだけどさ、なんかすっごい鉄分の臭いがしない?」
「そういう成分なんじゃねぇの」
うん?とマリアも習って臭いをかいで見る。料理人であるので嗅覚は良い。すんすんと動かして首をかしげた。
「まぁすんな」
「だよねぇ」
マリアの言うようにそういう成分の多い温泉という可能性もあるのだが鉄分の臭い=血じゃね?と思うのは環境的に仕方ない。はマリアと顔を見合わせ「とりあえず進もう」と洞窟の中へ入った。
あたりは微量に発光する苔が生えているようでゆっくり進む分には不自由しない。一応マリアが先頭を行き、その歩いた場所をが慎重に続く。コツコツ、とマリアが壁を叩きながら進むのをどういうわけだと不思議に思ったが何のことはない。もし洞窟内に人、あるいは獣がいればこの音で「何か来た」とこちらの存在を知らせているのだ。熊の出る森を歩くときに鈴をつけるようなもの、そう思ってはマリアも一応は海兵なのだと関心する。
進んで行けば段々と硫黄と鉄分の臭いが強くなってきた。それと肌に感じる湿度も上がってくる。苔が生えていたため冬島でありながら湿度は高いとは思っていたが、これは「梅雨」の時期に似ているくらいのジメジメっとした空気である。
そうしてさらに進むと前方が大きく開けた場所にたどり着く。が、が「温泉あった?」とマリアの体から向こうを覗こうとすると、それを手で制される。
「待て」
「なぁに?」
「まぁ別にお前のメンタルなんてどうでもいいんだけどよ」
見ないほうがいいらしいものが目の前にあるようだ。
「おやまァ」
しかし見るなと言われると見たくなる。はひょいっとマリアの体を超えて洞窟内、ぼんやりと湯気の立ちこめたその場所に近づき凝視した。
なるほどここが秘湯。人の手が入っていたのかきちんと手ごろな岩で周囲を囲まれているその温泉。広さは執務室ほどあり、秘湯というからちょっと小さめのものを想像していたはこれならサカズキも入れただろう、と過去形で頷く。
というのもその秘湯、今は元の湯の色が判別できぬほど赤く染まり、その湯船の中には隙間なくびっしりと死体死体死体が投げ込まれているからだ。
「温泉客ってわけじゃないんだろうね。なんか身なり、マリアちゃんに似てる人いるし」
湯に浸かりきれぬあふれ出た死体にひょこひょこと近づいては目を細める。老若男女系30人程度はいるだろうか。漁師のような風体もあればメイドのような者もいる。それらが皆平等に体をあちこち何かサクッと体を刺せるようなものでやられた傷を持っていた。凄惨な光景、といえばまさにその通りであるがは顔色一つ変えずに湯につかった死体を一つごろん、とひっくり返しその傷や顔を調べ始める。
「おい、何してんだ」
「お湯に浸かっちゃってるから正確な死亡時刻は一寸わからないんだけどね、この人たちは皆同じ場所で殺されたわけじゃなさそうだよ」
「なんでわかるんだ?」
「ここは冬島。いくら住人で寒さに慣れてるって言ってもコートも羽織らずに外には出ないよね」
漁師や老婆などはきちんと防寒着を纏っているがメイドや男性使用人らはマフラー一つしていない。ということは前者は温かい場所から寒い場所に誘導された後殺害。後者は暖かな屋内で殺害された、というところだろうか。お湯にさえ浸かっていなければ体に凍傷のあとや土や何か他のものが付着していないか調べられたのだが、と少々残念に思う。
「魔女のいる島、消えた使用人や島民たちは死体になって発見された。ねぇ、マリアちゃん、一体どんなことがおきているんだろうね」
はぬれた手をぴっぴっと払い、顔を顰めたまま無言でいるマリアのもとに戻った。海兵といっても従属、料理人。動物の死体は触るがこうもあからさまに人の死体、というのは経験がないのか、その顔が少し青白い。だが真っ赤に染まった湯の中に大量の死体が無造作に投げ込まれている、と言うその光景、どこか現実味が薄く、それがマリアの恐怖を抑えているのだろう。
「大将んところに戻るぞ。なんか、まずいだろ、この展開」
大丈夫?とが声をかけるより先に我に返ったマリアがばっとの手首を掴む。この島でなんぞ起きている。それはもう確実だ。スタスタと早足で歩き出口に向かうマリアの背を見、は死体の山を振り返った。
引っかかるのは皆の顔が恐怖に引きつっていないことだ。どの死体、どれもこれもきちんと目を閉じていた。襲われて突如殺されたのなら多少なりともその感情が死に顔に表れているはず。けれどそれが見当たらない。
折角の秘湯は人の血で大量に汚されたため効果は消えていた。(念のためは血の混じった湯で自分の首を洗ってみたけれどまるで効果がなかった)それならここにはなんのために来たのかわからぬ。
とにかく今はサカズキと合流しなければ。マリアの意見にも賛成である。正直自分ひとりならどうにでもなるが、マリアはそうではない。それで引っ張られるまま歩き続け、そしてぶるっと体を震わせた。
「うわぁ、最悪」
「強行突破できるレベルにしろよせめて……!!」
たどり着いた洞窟出口、その向こうには冬島らしい大吹雪が吹き荒れていた。
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